★文月初日

 梅雨の真っ直中とはいえ、武蔵野のお天道は上機嫌である。夏がすぐ間近ににじり寄りつつあるのをひしひしと感じる今日この頃。雨も時々降ってくれるおかげで、ゴーヤもすくすく成長している。

(この調子では夏のツアー中に電線を伝って他家まで伸びてゆくかもな...)

そんな心配を今からしているくらいである。自然の力には毎度頭が下がる。ネットの片隅に蜘蛛が巣を張って獲物が来るのを待っている。

(たくましい奴...)

こいつも生きているし、おれもなんとか生きている。ただそれだけでもある。

(今更ではあるが...)

今更ではあるが、やはり原子力発電というモンから早く脱したいものである。手前のケツは手前で拭かなくてはならない。国民の殆どの人間が願って止まない、それは切なる思いでもあるのかも知れない。意識の差は勿論あれど、今やたれもが切望しているのが所謂"脱原発"であると思う。しかしながらこの世はそうは動かない。そう動かせない働きが止まない。

「国民の関心を早く! 逸早く原発から遠ざけなければならぬ!」

「左様。さもなくば我らの首が飛ぶというものだ。」

「うむ。それだけは避けなければならぬ...。」

何処からともなく...唸る様な悪鬼どもの会話が聞こえてきそうな気配を漂わせる昨今の世情。やつらは絶対に床に座して会話などしないし、ゴーヤの苗を植えることもしない。勿論節電などはしない。空調がききまくったバビロンタワーの一室でせせら笑っているのが関の山である。

(さて、ひとりの人間としてやれる事は何ぞあるかえ...?)

と、そう考えざるを得ないのが人としての道理ではあるが、なかなかに複雑だし、決して一様ではない。闘争もあれば和解もあるし、裏切りもあれば融和もあるだろうし。無情の中に一分の人情もあると言う。なにをとるかは人それぞれ、どう感じるかはあなた次第といった具合である。民主主義のカラクリからすれば、デモクラシーも立派な意思表示である。選挙が"選択"の意思であるならば、デモは"反対"の意思を示す重要な役割を持つ。一方は法で義務とされ、もう一方は権力の監視の目や弾圧の手に曝される。

(さもアンバランスな代物よ...)

と、遠吠えしている訳にもゆかない。

(はてさて、一人間として、一音楽家として、おれになにができるのか...?)

改めて心底そう思わされたのは、先日出演させて頂いた橋の下アジア音楽祭にてであった。快晴とまではゆかない空模様でも、河川敷に降り注ぐ太陽の光を一身に受けたソーラー発電が電気をつくっていた。なんとも素晴らしい電力である。敷き連ねたソーラーが日光を得て産む電力は、ギターアンプを通して音にも如実にすさまじい力強さをもたらした。

(何故、こんなに素晴らしい発電方法が普及しないのか...?)

タートルアイランドという存在が打ち鳴らす音が、空気が、人が、その日の豊田大橋の下には満ち満ちていた。自由と創造が産んだ真の祭が現出した数日間であり、とてもたくさんの思いある人が創り上げた壮大な音楽祭であった。電力は太陽光だけである。自由な電気と人を音楽が繋げていた。それは原始的であり未来的である。

(ありがとうございました!!)

もっと自由に電力を選べなくてはならない筈である。選べた上で原子力発電が産んだ超高価な電気を買う人なんて皆無だろう。50基以上も造らせてしまったこの現状は、ある意味では民衆の怠慢であると言えるのかも知れない。しかしそう言ってしまっては情けが無いってもんでもある。

(まず送電線を解放した上で、発電の独占をやめるべきではないか?)

そうすればゴーヤが電線を伝って伸びてもたれも文句は言わない。言いたい事が山とある三十路過ぎの男のボヤキか、はたまた一民衆の一途な叫びか、若しくはその両方かは相知れないが、最後まで読んでくれた方に感謝して此処いらで擱筆しておきたい。空が白んでカラスが鳴いている。部屋にはまだ涼し気な夜風が吹き込んでいる。


★みちのく旅烏

 清志郎さんの4回目の命日にあたるその日、僕は夜が明けて間もない世田谷のR246沿いにいた。晩春の朝陽に侵された空気が心地よい冷気を孕んでいた。ベーシストNAGIを含む僕等の一行はGRAVITY FREEのワンボックスに乗り込み、一路東北道を北へと走り始めた。目的地は宮城県石巻である。GWの大渋滞にもめげず、安全運転でハンドルを握ってくれたdjowさんには感謝の気持ちで一杯であった。約12時間の道程を経て、石巻のボランティアベースに到着した頃には、すっかり夜の帳が降りていた。

「ようこそ!」

出迎えてくれたのは今回大変お世話になった”古民家再生IBUKIプロジェクト”の大工さん、BUBBさんであった。そのプロジェクトは、牡鹿半島の大原地区で津波に流されなかった貴重な古民家を再生し、新たな息吹を与えるべく活動している団体である。

「お世話になります!」

挨拶と食事を終えた一行は、宿舎がある大原へと車を走らせた。石巻市内から牡鹿半島へ橋を渡ると、辺りの闇が一層濃くなる。道路が至る場所で歪み、地面が沈んでいるのが分かる。大変な被害を被った地域である事を、嫌でも知らされる光景である。僕は瞠目せざるを得なかったが、それでもやはり(この2年間で人々が増え、建物が増えた)と皆が口を揃える。しかし闇夜の深さは際立っていた。墨汁を落とした様な夜道を車のヘッドライトが縫う様に走る。すると道路脇に鹿の親子がいるのが見えた。"牡鹿半島"の名前の云われである事は言うをまたないが、ここには約5000頭余の鹿が棲んでいるという。東北地方はかつてアイヌの土地であった。中世を経て遂行された征夷は、彼の地"日高見"を我がものにせんとした大和の軍事事業であった。伊達政宗もそれを知らなかった訳ではあるまいが、この牡鹿半島は伊達藩の鹿狩りの猟場としても名高い。街灯の乏しい暗闇の道を抜け大原に着くと、頭上にはかつて見た事の無いほどの満天の星々が輝いていた。



さて、ここ牡鹿半島に渡波(わたのは)という地域があるが、そこに鎮座するひとつの古社がある。名を伊去波夜和氣命神社、通称を明神社という。海岸から然程離れていない小高い丘に建っているその神社で、震災時200人を上回る人が津波を逃れたという。しかしながら助かった人ばかりではなかった訳で、宮司さんの意向により境内に被災者の祖霊社を建て、今年のお祭りでその建設記念式を行った。そこでGRAVITY FREEが社に絵を描き、僕らが演奏をした。震災時は二カ所から合流した津波が、この神社を中心に渦を巻いていたと言う。殆どの家屋を流した津波だったが、それでもこの場所は人々の命を救った。聞く話によるとこの神社は、いざという時の避難所として古代から伝えられてきた場所であると言う。古い神社などの聖域はやはり、その様に意味を持つ場所であるのだと分かる。祭当日は古い神輿までお出ましして大盛況であった。何より人々の活力が半端ではない。祭は直会をいただき幕を閉じた。その後石巻市内に移りコーヒーショップ"ROOTS"にて夜の祭が始まった。ここでもライブをやらせて頂き、グラビティーフリーが絵を描いた。人々は混ざり合い、石巻の夜は深く深くどこまでも更けていくのであった。



この旅は僕に、津波が流したものの計り知れなさの一端を垣間見せてくれた。それはあまりにも大きい力である。渡波沖は海底が露出するまでに潮が引いた後、高さ35メートルの津波が押し寄せた。それでも神社は一握りの人々を救い、そこに生き残った人は力強く生活していた。学ばされる事ばかりであった。帰り際、石ノ森章太郎ミュージアムに多くの来客が見られた。ここ石巻は、日本中の多くの人が訪れるべき場所であり、自分もまた訪れたい場所である。とにかく心底そう思った訳だが、この後に続く福島県富岡町への旅によってその思いはより強くなるのであった...。


★27 years later

 長かった三寒四温の日々が漸く過ぎ去り、東京の日差しにも徐々に力強さが漲り始めた今日この頃。ツツジが彩る街並は俄に活気を帯び始めている。世間は所謂ゴールデンウィークというまやかしに踊らされている最中である。僕はといえば相変わらず、六畳一間で日本酒を煽りながら日々の鬱憤に燻られている。今宵のお供は福島県磐城の純米酒”又兵衛”である。肴には蓮根のきんぴらと、古志の蕗で作った蕗味噌を添えた。それらに箸を延ばしつつ、先人達が育んだ伝統に舌鼓を打つのが僕の至福の時間でもある。酒にしろ郷土料理にしろ、僕らの胃袋にはやはり馴染み深い味としか言いようが無い。郷愁にも似た味わいである。西洋式のファストフードでは決して味わうことの出来ない和の産物である。

「人類史上最悪の悲劇とされるチャルノブイリ原発事故から27年が経ちました...云々」


先日、久々に電源を入れたテレビからステレオタイプのナレーションが流れてきた。僕が5歳の時に爆発したチェルノブイリ原発は、甲状腺がんの発症を3000人以上も伴い、放射能汚染によって数々の悲惨な事態を招いた。それらは明白な事実として現在は誰もが認識している事柄である。そして25年後の一昨年、大地の怒りによって日本国は福島県の原発が吹っ飛んだ。


(何を以て人類史上最悪とぬかすのか?!)


チェルノブイリでは住民を即座に避難させ、原発は石棺した。要するに人々を守り、瓦礫を封じ込めた。しかし我が日本は全く逆の行為を遂行してしまっているように見える。人々を閉じ込め、汚染を拡散させている。少なくとも僕の眼にはそう映っている。もしそうだとしたら、一体どちらが最悪なのだろうか?


(人類はやはり不完全らしい)


インド解放の指導者ガンディーは言った。「不完全だからこそ反省し、自己を統率しなければならない」と。過去から学び、反省する余地を我々人類は持ち得ている。それが歴史というものの役割でもある。ヒンディーの歴史の概念は民衆の立場で解釈される。綿々と連なる当たり前の日常によって”このようになった”という結果が彼等の歴史である。しかし英語で言う歴史、即ち"ヒストリー"の古来の語意は”帝王たちの成果”である。まったく意味するところが違うのだ。昨今の教科書に載っている歴史もまた同様である。現代人はある特異な出来事の羅列を歴史と呼びたがる傾向にあるが、本来、僕たちの歴史とは祖先から受け継がれてきた日常の繰り返しの成果である。それらは伝統や伝承と呼ばれる、民衆の一挙手一投足の連続である筈である。それが歴史の本質であるのだ、とそう思いたい。


(もはや限界なのか?)


議会制民主主義は結局、権力者たちの産物のようである。考えてみたら、顔もよく見えない、声もよく聞こえない民主主義などあろう筈も無い。政治家は選挙のために働き、メディアはそのために動く。当然そこには真の正義が実現される余地などありはしない。かつてタイマーズもそう歌っていた。そして今もほとんどの人が理念と現実との狭間で生きている。主体性を求めながら、様々に観念化された欲望と自我の中で、曖昧模糊なこの資本主義社会の荒波を漕ぎ進む。近代的システマティック社会が失ってしまった何かをどうにか見据えながら。


まだまだ希望は捨てられない。だからこそ僕らは生きている。


★南島ブラクラスタ

 春先だが関東は雨模様の空だった。成田空港から二時間半、彼方上空の大気を切り裂きながら飛行機は空を飛ぶ。那覇空港に降立つと湿度を存分に含んだ空気が出迎えてくれた。季節を"うりずん"という。新緑がはじける短い春である。まもなく"若夏"という初夏を迎える。"夏至南風"(かーちーべぇ)といううちなーぐちがあるが、北西の風が衰え南風が吹くと、島には厳しい夏がやってくるという。

(一年ぶりか...)

久茂地の公園を歩きながら立派なガジュマルに目をやると、長い髭根が大地に垂れていた。台風にさらされながらも力強くうねる様に聳えるこの大樹を見ると、やはり島人になぞらえてしまう。現に琉球弧では強靭なものの代名詞でもあるという。鳴く鳥の声も、咲く花の種類も、吹く風の香りも、暮らす人の様まで本州のそれとは異なる。歴史に於いても、現状に於いても、本州のそれとは変わった情景を呈する島であると言える。青空とコンクリートの間にブーゲンビリアが色を添えている。南国を代表するシソ科のかわいい花弁がいたるところで凛々と咲き誇っていた。

(北緯を10°も下ると、ここまで暖かいんだな)

日本地図をひらいてみると、九州南西の海に台湾まで連なる島嶼群を確認出来る。奄美諸島、琉球諸島、八重山郡島を総じて"琉球弧"と呼び、南海の貿易中継地として古代から栄え、中世を経て王国へと発展した。シナ文化、メラネシア文化を内包しつつも、それらと日本とを繋ぐ海の交差点であった。むしろ倭が平定される中世末までは、首里を中心に高い文化の花を咲かせた。島のあちこちに点在するグスクと呼ばれる城は主に聖域であり、要塞であり、現在は遺産であったりする。1609年。当時の薩摩藩主島津家久の琉球侵攻により栄華を奪われ、やがて長い隷属化の歴史を強いられる。その後も太平洋戦争では日本で唯一の陸上戦が行われ、無数の悲劇を生んだ。戦争は幾多の命とともに文化も奪った。

(おもろさうしまで...)

そうして訪れた"アメリカ世"は、更に島に影響をもたらした。この島がある種の異風の魅力をたたえるのは、そういう側面をすべて秘めているからなのだろう。しかし僕が沖縄を訪れた理由は基地ではないし観光でもない。"南島ブラクラスタ"というパンクロック祭に出演するためである。コザの町にはパンクスが生きている。そしてよく似合う。都会で目にするコスプレの類いでは決してないリアリズムに満ちている。基地と共に暮らす現実が裏打ちする風景がそこにはある。

(沖縄で飲むオリオンはひときわ美味しいな)

前夜祭は飲んで記憶をなくすまで酔った。久々に会えた友だちとの宵がうれしくて仕方がなかったのだが、おかげで翌朝はメンバーの説教で目覚める羽目となってしまった...。

(言い返す言葉はみあたらない)

当日はまさにお祭りだった。あらゆる人が自由に各々を燃え上がらせた。パンクスが街を動かしていた。動員は300人を越えたという。米兵の顔はほぼ見られなかったと思う。どうやら自粛がかかっていたらしい。おまけに翌日の琉球新報、沖縄タイムスの紙面までにぎわした。後日ジャックザニコルソンズの小町君は「あの日は革命が起った」と話している。

(たしかに)

と思ったが、それはきっと彼等が一番実感している事なのだ。

「人を殺して得た金なんていらねぇ」

愛樹さんの言葉にその日は集約された気がするが、これもきっと彼等が一番感じている事なのかも知れない。

(どうもありがとう)

この場を借りてお礼を言いたい人がたくさんいる。那覇、コザ、名護の又旅は、僕にいろんな事を教えてくれた。すばもたらふく頂いた。おかげでお腹が出た。写真はほぼほぼ撮っていなかった。それくらい充実していたということか、はたまた酔いつぶれていたということか。兎に角いろんな状態がある。古里に帰りたくても帰れない人が、この島にもたくさん居る。基地はとてもでっかい。

「いちゃりば ちょーでー」

オキナワの言葉で"行き違えば兄弟だ"ということだが、意味が二つあるという。一つは"知り合ったなら兄弟のようなもんだ"ということ。そしてもう一つは"知り合っていろいろ話してみるとほんとに兄弟だった"ということらしい。小さな沖縄という島ならではの意識が生んだ素敵な言葉だと思う。

(文明は都会化したな)

人口が流動して、知らない者同士が隣り合い、共同体の意識が薄れた。現在都会で犯罪が多発する原因をここにも十分に見出せる。"愛"は一個人では成り立たない言葉だという。相手が居てこそ成立するのが"愛"であるというのだ。だとしたらそれはI&Iに他ならないし、勾玉をシンメトリーに合わせたハートのモチーフと酷似する。日本ではすでに縄文時代の土偶にも現されていた古来のハート型である。沖縄に居ると綿々と続いている祖先崇拝とニライカナイ信仰の片鱗をかいま見る思いがする。お墓の大きさを見れば誰もがそう思うだろうし、信仰という面においては日本でも類を見ないほどあつい土地であると思う。

「ご先祖様に申し訳がたたない」

江戸時代を描いた小説などを読むと、日本人には義理や人情がいきいきと根付いているのが分かる。忘れた訳ではないが、目くらましされているのも現状らしい。いま沖縄からなにを学ぶのか。

(兎に角)

自分が学ぶのだ。そこから始まらなくてはならない。今夜も武蔵野の部屋でマルフクのレコードに針を落とし、カンカラサンシェンをはじく。



★"未来世紀メキシコ酒場"告知

 二月二十八日、木曜日。如月末日。東都南風が吹きて頗る温暖になり候へども、日暮れ俄に雲沸き立たち候。月弥生に変わりて丑三つ、未だ雨には至らざる空模様に相成り候。暗雲翳める朧げな宵月が武蔵野を照らせり候。民皆固唾を飲んで春一番を待ちわびる日々を送りし候に付き。来たる春分は三月二十日を皮切りに、毎月第三水曜日、所は東京渋谷、スンダランドカフェにて、平日の夜酔をお預かり賜いし候へば、ここに"未来世紀メキシコ酒場"なる宵を開催仕り賜いし候。未来世紀メキシコ一同参上仕りまして、皆様の御来場、切にお待ち申し上げ仕り候。


此れを以て、いざ、未来世紀メキシコ酒場の、はじまりはじまり〜!!!!



「未来世紀メキシコ酒場 第一回」


3/20(wed)

18:00〜23:00

@ SUNDALAND CAFE 


DJ :SAUDI,S.O.C.,RE.EKDDIK

LIVE ;EKDDIK

SHOP:FZMX,5W

SPECIAL FOOD & DRINK & MORE!!



追って詳細は報告致し候。


★デンワガナラン

 昨日の満月は美しかった。井の頭の夜空には一筋の雲も無く、悠々と浮かぶお月さんの姿は、いつもより幾分膨らんでいる様に見えた。思わず月見酒をきめ込んだのも昨夜の出来事であった。今宵も井の頭の夜は静けさに満たされている。理由は地理的なものであろう。大きく公園が横たわっているので、車の通行量が至って少ない。昼間は学生たちの談笑やらで賑わっている表通りも、夜はくたびれたサラリーマンが時折、革靴のかかとを鳴らして歩く音が聞こえてくる程度であった。

(しくじった)

日本酒で唇を濡らしていると、ある事に気がついた。道理で誰からも連絡が無い訳だった。

(携帯電話が止まっている...)

いつも肌身離さず持ち歩いている携帯電話だが、こうなってしまっては時計くらいの機能しか持ち合わせていない。今やほとんどの人が持っているであろう携帯電話。現代の子は何歳くらいから手にするのだろうか?かつて僕らは頻繁に使う番号を暗記していたし、会いたい人を引き寄せる力も持っていた。今やそれらの能力は必要性を欠き、失せたと言ってもいいのかも知れない。現代社会の推進力である合理主義の波は、数々の人間の営みを変えたであろう。古来からの人間の能力や文化に新しいメスを入れ、"迷妄"という理屈を拵え、抹殺したであろう。その上で”発展”をしたのであろう。そして今も多大な変化を与え続けている。だが今夜は...。

(わるくない)

メールは言わばテレパシーで、通話は遠隔通信能力の代替だと言える。現代人は脳みそを30%くらいしか使う事が出来ていないらしい。即ち人はまだまだ未知で、科学では分からない神秘に満ちているという事が言えるのだ。では合理的な科学が産まれる以前はどうであったのか?例えば日本の縄文時代の文化に"夢告"というのがある。読んで字の如く"夢の中のお告げ"であるが、これは眠りの中で他者と遠隔通信を可能にする能力だと思われる。日本の神話にも数々の夢告が登場する。タケミカヅチが神武にフツノミタマという聖剣を送った事を知らせる際にも使われている。そんな"夢告"を円滑に行う為の装置として山頂ピラミッドが造られたらしい。素材には水晶を使用していた。ご存知の通り現代のラジオが電波を飛ばす為に使うのも水晶である。ラジオには微量の水晶が使用されるが、古代、例えば甲府にある昇仙峡では原石のまま山頂に水晶のピラミッドが造形されていたらしい。その規模で電波を飛ばすとなると果たして...?解明は現代科学に委ねたい。"夢告"とは言わば古代の科学であると言える。迷妄性と合理性が同居している科学なのだ。

(しかし...いかがなものか)

問題は携帯電話であった。現代は如何せん多忙である。それにマナーやモラルが必要以上につきまとう。携帯電話が繋がらない事は最早、無礼に当たるのではないか?現代は現代でこれまた難しい構造を秘めている。僕らの祖先が残した伝承や言い伝えの類いも、合理主義の前には"迷妄"のレッテルを貼られた当事者に他ならなかった。そもそもイデオロギーの話は好みではないが、要するに伝承を失った人々は、知識を無くして教育が出来なくなり、それ故に法に頼るという図式のようである。法よりも先に心があるべきだと思うのだが、それさえも"迷妄"だと言えるのだろうか?いやいや、それこそが人ではないのか?だとしたら人間とは...。

(寝てしまおう...)

銭を払えば遠くにいる人と会話が出来る。能力を銭で買うのだ。実行するかしないかは明日の己が決めてくれる。今夜は夢告を待つ事にしたい。以前に松本人志氏が「携帯電話が人体に埋め込まれる日が来る」と言っていたのを思い出したが、強ち無い話ではないのかも知れない。


★昼下がりの酔鯨

 如月の昼下がり、お天道の陽光が窓辺の植物たちを隅々まで照らしている。北風はまだ吹き止まないでいた。僕は昼の八つから、土佐の純米酒”酔鯨”の入ったおちょこを傾けた。ここ東京でも高知のお酒を味わえるのはありがたい。けれど、この酒をここまで運ぶ為にいくらか地球を汚した事には違いなかった。「いわゆる発展とは...?」と疑問は量産されるが、回答は雲隠れである。いや、ときには単純明快であるとも言えるか。何故ならそれらの話には大抵、銭が絡んでいるからであった。音楽を奏でてそれを得る者もあれば、人を殺してそれを得る者もある。皆、多かれ少なかれ銭を稼がねば食っていけぬ仕組みが出来上がっている。恰もまやかしの如く、それは世に霞がかっている。特に都会ではその手段が実に多様であると言える。誰が良くて誰が悪いのかではなく、現在そういった仕組みの基に暮らしているだけの話でもある。ただ、先進国と呼ばれる国々にその傾向が甚だしいのは言うを待たないだろう。ともあれこの酒が、二酸化炭素等を大気に撒き散らしながら東京まで運ばれてきたのは事実であるし、同時に銭を産んだ事もまた相違ない筈である。


日本の政権は変わった。「自衛隊に四百億円の追加予算...、生活保護六百七十億円予算削減...」。ゴージャスさんからのメッセージが、マスの目を掻い潜って僕のポケットの中で鳴り響いた。そもそもマスメディアと情報局の関わりは如何なるものなのか?と言い出したらきりがないが、愚痴ではない。思い返すならば、日本という国は原爆も食らったし、原発も吹っ飛んだ。どう見積もっても遠い過去の話ではない。その都度、有り様が変わり、心模様が変わる。昨今の日本を見つめる世界の視点はやはりそこら辺にあると思われる。宮崎駿氏が描く世界はそれらを多いに内包しているし、大友克洋氏も同様に世界の終幕以降を描いていると言える。漫画は既に文化であるという。「最も進化した書物である」と唱えた人もあった。「何故、日本人は漫画文化を築けたのか?」と、また疑問が産まれた。しかしその応えとして、この国は"世界で唯一の経験者から成る民が暮らす列島であるから"だとは言えないだろうか...?


随分と酔いがまわってきたらしい。日中の酒は何故か効く。先刻観た、東ティモールのドキュメンタリー映画を思い出しながら回想を巡らせてみたが、とりとめを失いつつある。兎に角、僕はその映画を観て東ティモールという国が大好きになった。映画がどうであると言うより、人々に感動した。そして唄が素晴らしかった。来月、僕は南西の島へ行く。その島の唄も素晴らしい。しかし、現在その島は武装されている。何かの為に、まさにARMED ISLANDと化している。季節はうりずん。かつてこの弓なりの列島は”大きな輪っか"に包まれていたという。タイワン、オキナワ、ワ、ワッカナイ、すべて”大きな輪”を示唆する。僕は飛行機に乗って、地球を汚しながら空を飛ぶ事になるだろう。何が良くて何が悪いという話でもなく、何を感じるかなのだと思う。一年ぶりに友に会えると思うと心が沸き立つ。ぬる燗の片口が空いた。此処いらで擱筆しようと思う。少し傾いたお天道の光が、六畳一間に深く差し込んでいる。


★2013迎春

今年の元旦の空気はよく澄んでいた。井の頭界隈の氏神である牟礼神明社に詣でた家すがら、牟礼の里公園に立ち寄った。西の茜空には遠く不二のお山の姿がくっきりと見て取れた。江戸に住む人間は皆富士山信仰を持っていたらしい。たしかに美しい。寒風が吹いて耳を掌で覆った。西暦2013年が始まった。思えば随分未来にまで来たものだ。未来の音楽が溢れている。しかしひとむかし前の音楽も洋の東西を問わず生きている。産まれ続け、いいものは生き続けている。江戸時代にはどんなバンドがいたのだろうか。更にもっと太古の昔には...。思わず口角が上がる。華の東京は松の内二日目から既に沸き立っていた。僕は渋谷宇田川町にある文化村へと赴き江戸時代の禅師、白隠鶴の禅画展をご拝観。なんとも素晴らしかった。『夜船閑話』という医学書(闘病記?)を残したこの江戸時代中期の臨済宗の禅師を、僕は闘病期に知った。白隠さんは肺結核だったらしいが僕はガンであった。展示されていた美しいキセルを眺めながら口角が上がっていた。現在の禅宗はすべてこの白隠さんに通ずるという。秩父の山寺、太陽寺での宿坊が鮮明に脳裏に沸いて出てきた。耳に聞こえてくるのは鳥の声、風が吹けば木々がざわつく音、遠くからは川のせせらぎくらいであった。静かである。座禅を組めば体を流れる血液の音まで聞こえてきそうだった。夜は深い闇を落とした。住職手製の露天風呂に浸かって満天の星空にコウベを上げたのを覚えている。神仏もののけがいるかいないかは誰ひとり立証出来はしないが、いないとなるとなんともつまらない。かつては本当にいたのだろうか。否、きっと今も...。東京の光は妖怪たちを殲滅した。あるいはこんな闇の中にはまだ...。中世室町時代は妖怪が跋扈した時代であった。百鬼夜行である。都は陰陽道を使った。人は刀を極め祟りを斬った。戦人達は地獄を恐れず人を斬らなければならなかった。殺生が身近になり喜んだのは猟師や漁師くらいだったという。時代は時に神をも殺す。 

お餅がぷくっと膨らんだ。それをすまし汁に入れれば伊予風お雑煮の完成だ。松の内三日目ともなるとお腹もぷくっと膨れた。井の頭と言えば弁天様が鎮座することで古来から知られている。ローム層が織りなす関東平野の豊かな自然に古代から人が住まなかった訳がなかった。近隣には縄文時代の横穴も見つかっている。広大な武蔵野平野は各所で清水が湧き出てマンモスたちが闊歩する大自然だった。ここ井の頭もその一つだろう。弁天参道には人頭蛇体の宇賀の神が石塔になって立っている。この日は井の頭公園をすこし散歩する事に決めた。池の水面にはカルガモが数羽、寒空に身体を縮ませている。弁財天社の朱が澄んだ空気で鮮やかさを増していた。この天女は天竺の蛇神ナーガが由来とされる。即ちシヴァであり、不動明王に他ならない。長い時間はすべてをチャンプルーする。自分たちの祖先が紡いできた糸の先が今である。例外なく音楽にもまさに同じ事が言える。今は自分たちが紡いでいる最中である。いろいろ学んだ筈だ。偉人もたくさんいた。しかし戦争や飢饉や原子力など人が抱える重大な問題はまだ様々に現存する。何故かと問われても一様な答えなど何処にもなく、運命だとも思いたくはない。「同じ過ちは繰り返さない」。子供にも分かるであろう当たり前の事が人は案外に難しいらしい。僕らは原子力発電所をこの国に拵えた政府を再選させた。矛盾を抱える動物だからこそ人生は面白いのかも知れない。松の内は終わりを向かえた。間もなく鏡開きだ。今年はどんな年になるのだろうか。「どんなに未来が明るくても、決して過去を忘れてはならない。」ボブマーリーの台詞がふと脳裏をよぎる。


★吉備の山

 日本列島には山の麓に生活圏をおく集落が数多く見られ、まさに”山”の”間”に”衆”が集まった「ヤマト」であると感じてしまう風景は日本の各地にあります。木枯らしが吹くこの季節、山々の肌は赤や黄色やオレンジなどで色づいて奇麗な装いを見せています。そんな贅沢な景色を車窓に眺めながら、徹夜明けの僕は博多行きの新幹線の中でいつのまにか眠りについていました。岡山駅へ降立つと今回の企画者であるキヨ君が迎えにきてくれて、車で北へ10kmほど走った山の中腹にある温泉施設レスパール藤ヶ鳴を目指します。今回弾き語りで呼んでくれたのは”GOODTIMIN' REASON”というイベントで、会場は温泉プールを利用して催されていました。プールの上にステージを組んである為か、天然のエコーが効いた異空間で、ちょうど能楽堂の舞台の下に壷を設置して響かせる原理と同じ働きをしている様でした。建物自体も変わっていて、ガラス張りのトーラスでなんとも不思議な場所でした。あいにくの曇り空でしたが、出演バンドやDJ陣は地元や近畿方面からかっこいいコアなメンツが揃っていて、レゲエやアフリカや中南米の音楽が聴けて楽しかったです。夜は割りと早く更けたので、翌日は鬼退治伝説を持つ備前の国を散策することにしました。と言うのも“記紀“(古事記と日本書紀を併せた呼称)にも登場するあの吉備津彦を祀る神社があることを知っていたからです。「吉備中山」という、頂きに環状列石を持つ神山を背に鎮座する、その名も「吉備津彦神社」がそれでした。名前から察するに古代の山陽地方に栄えた吉備の王である事が伺えますが、吉備津彦はそもそも隣接する部族である「温羅(ウラ)」という鬼を退治してその土地の主になります。神話では天孫族に仲間入りしますが、古代の吉備の王で代々受け継ぐ王号であったと思われます。おそらくは製鉄という温羅の技術が欲しかった朝廷に協力したかたちをとった人達なのでしょう。境内には勿論天津神(天孫族の神)も祭られていますが、亀島、鶴島があり、大きな石灯籠があり、本殿の棟の先端には置千木があり、多分に×マークをモチーフにした狗奴の色が濃く見られます。同時に近くには人頭蛇体の製鉄の神、宇賀(ウガ)の神を祀る宇賀神社もあり、ペルシャ語で“太陽を祈る“という意味を持つ古い稲荷神社もありました。つまりアラハバキを奉ずる製鉄民や、太陽と月を拝み人工造山を作る技術者集団がいた訳です。このように生きる古墳と言われる神社は多くを語ってくれています。帰り際に名前に釣られて「造山古墳」に行きました。丘を削って作られたという大きな前方後円墳や石室に装飾を持つ円墳など6基が点在していて、そこに古めかしい集落が密集しています。狭い路地を歩きながら家々の白い壁を見ると三角や×マークを連続させた模様がありました。銅鐸や土器についているものと同じような模様です。そして驚いた事に、前方後円墳の頂きには荒神さまを祀る社がたたずんでいます。荒神さまとはアラハバキさんの事で、ルーツを中東にまで遡る事が出来る古い神です。ヤマン(現イエーメン)のアーラヴィ族が携えてインドに入り、アーリア人の侵攻によって難民となり各地に散っています。それが雑多的な仏教徒によって中国北西部の狗奴に伝わり、シルクロードを経て縄文末には九州にも国を作ります。中世には武蔵の国一の宮氷川神社に祀られ、民衆のあつい信仰を集めます。そんな荒波吐さんにここでも出会うことが出来ました。夕方の岡山駅で木枯らしに身を縮ませていると、東京行きののぞみがやってきました。桃太郎のルーツに触れる事が出来た僕はこんな事を回想しながら、またいつのまにか眠りについていたのでした。今回もいろんな方達のお世話になりました!ありがとうございました!また会いましょー!!!

★転々

 ブログとは恐ろしいもので、気づけば前回から3ヶ月も放ったらかしていたらしく、自分の筆不精っぷりにほとほと呆れる次第であります。しかしながら今年の夏もおかげさまで忙しなく各地を転々としておりました。夏の恒例行事”RADICAL MUSIC NETWORK”を皮切りに、富山県の小さな町を舞台にグナワとチンドンがチャンプルーされたお祭り”スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド”。その後は初の信州諏訪で”縄文と再生”を冠した奇祭”ONENESS CAMP”に出演。諏訪高原にある縄文時代の黒曜石産地を解放して、地元の御柱祭ともタッグを組み、日本列島の先住民の文化に触れる事が出来る素晴らしいキャンプでした。9月になると九州は大分県国東半島にある弥生時代の集落跡にて催される”くにさき古代祭り”に3度目の出場。そのまま豊後水道をフェリーで渡って四国までロイ・エリスと同行する事が出来ました。季節は移ろい秋になり、台風の直撃をもろに受けた光風&GREEN MASSIVEとの静岡山賊旅を無事に終え、お次ぎは愛知ツアー。題して”笹舟自治会”という頼りなくも希望に満ちた船が出航。ボンクラ峠と舵を取り、毎晩呑めや歌えやで酔い潰れながらもいろんな人の助けを借りて”TOYOTA ROCK FESTIVAL”へ寄港したのが先月半ば...。気づけば立冬を迎えていた訳で面目ありませんが、皆様に感謝!お世話んなりました!今後ともごめんねマイペースで日々邁進して行きたい所存であります。2012年、残すところ2ヶ月。まだまだお祭りがお待ちかねですね!!!それではまた会場でお会いしましょ〜!!