★蛇の血

 (大和の郷、飛鳥...)

ずっと以前...と言ってしまっては余りに漠然とし過ぎているから、八百万の神々が生きていた時代、と言えば何となくだが想像がつくかも知れない。

(行ってみたいものだ...)

現在は山間の小盆地である飛鳥村が、古代には湖に浮かぶ都市であった、と唱えたのは巨石文化研究家の渡辺豊和氏である。湖面にはピラミッドが浮かんでいた。秋分と春分の太陽が、山頂にピラミッドを有する三輪山に昇り、忌部山に沈む。人々はそれらによって暦を知り、収穫や狩りなどの生活の営みの時期を知る。男根のシンボルから昇った太陽が、女陰のシンボルへと没してゆく。古代の日本人は完全に地球と共に生活している。と言うより、生命として生きている。飛鳥村に在ったとされる古代の都市、名を"磯城"と書いて"シキ"と呼ぶ。王に長髄彦命(ナガスネヒコノミコト)を担ぐ、古代日本の先住民族である。先述したピラミッドは現在も古墳や神社として存在している。しかし建築家でもある氏は、それらが「壊されている」と語る。

(成る程...)

大和三山は、天香久山、畝傍山、耳成山である。それらからピタゴラスの定理に基づいて導かれる場所に、三輪山が在る。"磯城"という"クニ"は途方もない技術者を有していた。ピラミッドから線を引き、磁場を捉え、交信し、地図を作った。まさしく太陽と地球を最大限に生かした巨大なカレンダーである。アジアの東方に連なる日本列島は、多量の降雨をもたらす緑豊かな島々である。即ち土壌が肥えていて、植物がよく育つ。故に長い年月を経てピラミッドは、鬱蒼と木々を茂らす山々へと変わり果てる。古代日本のピラミッドは壊されて瓦礫と化し、雨によって緑化した。一万年以上も続いたとされる縄文時代。悠久の時が育んだ文化の結晶として、縄文末期は栄えた筈である。"磯城"は然も優美な水上都市であった。水辺には葦がよく育ったことであろう。そう考えると、日本神話に登場する"豊葦原中国"(トヨアシハラノナカツクニ)の風景と、正しく合点する場所でもある。

(蛇、亀甲、男根、大黒天...大国主命)

全てナガスネヒコの俗称である。ついでに"八股大蛇"にも多分に長髄彦命の資質である"山"が現されている。八百万の神々。古代日本に繁栄を極めた諸民族は、ある一民族の来訪によって様変わりする。天孫族が日本列島に辿り着いたのは紀元前夜であったとされる。アマテラスを奉ずる彼等の渡来。それは日本列島の民族にとって、弥生時代の到来に繋がる。初代天皇、即ち神武、後の名を伊波礼彦尊(イワレヒコノミコト)を担ぐ彼等によって、"磯城"は攻め落とされ、出雲へと封印された。最も封じたかった縄文の神は、今日でも日本一太い注連縄によって閉じ込められている。国を追われたナガスネヒコは、辛くも難を逃れ東北へと亡命し、そこでアラハバキを信仰する青森の"アソベ族"等と混血の末、"日高見国"と称する陸奥の勢力として中世まで存在する。つまり陸奥の豪族、"阿部氏"がそれである。その末裔の"秋田氏"が記した『津軽外三郡誌』という史書が詳しく伝えている。"磯城"の美しい湖は埋められて田園と化し、ピラミッドは破壊された後、古墳などの墓に作り変えられた。そして万世一系の天孫族の初代帝王が誕生する。名をイワレヒコノミコト。"ヒコ"とは"日子"で古代の男子の呼び名である。"イワレ"とは破壊を意味する。その名に恥じぬ暴君は顔面に刺青を施した男であったという。

(...そもそも)

往々にして言える事だが、古代の人々は身体に墨を入れていたと思う。現代に於いても先住民族の文化には、洋の東西を問わず刺青の習俗がある。トライバルと呼ばれるタトゥーである。特にかつての我々は子供から大人まで、顔や体に文身を彫っていたと言われている。当時の土器や土偶に見られるあの縄文である。蛇であり、大国主であり、ナガスネヒコである。中国三国志の正史書『魏志倭人伝』にも、倭人は皆文身を施しているとある。”刺青”という名称は近世からの呼び名で、古くは"文身"という。関西での"入れぼくろ"であり、沖縄での"針突"である。

(そんな先祖を持つ日本人にも拘らず...)

この国には差別が横行しているらしい。さも当たり前の事柄の様に。メディアが煽る事で強引に納得させている。いつの世も権力の神経とは粗雑なものである。ヤクザ屋さんの刺青にしても、元来、江戸時代の"火消し"の文化からきている。江戸八百八丁の自警団、同心与力や火付盗賊改役など、危険な火事場などに赴く彼等は、どんな無惨な亡骸に変わり果てても、身元が判明するようにと身体に文様を刻んだ。心配りがあるお洒落である。それが"粋"なのだ。そうして華々しく技術として極められたものが和彫りである。

(いい文化だ...)

遠く南半球からやって来てくれた彼女はどう感じただろうか?

(悲しい思いをしたに違いない...)

特徴的な文身をもつアイヌ文化との交流。遥か南洋からやって来た兄妹が受けた差別。思えば我らの恥ずべき行いではないか。自分たちの祖先の文化を否定する事にも繋がる。初代天皇でさえ顔に刺青を入れていたくらいである。

(ぼくらはそんな民族の末裔だ)

縄文時代。八百万の神々の時代。天の神だけではなく地母神が生きていた時代である。大国主、大物主、男根の生神、ナガスネヒコがいた時代。彼等は自然を広大な田園に作り変えることを憚った。アイヌには"自然"という意味にあたる言葉がないという。それが当たり前というか、人もその一部分であり一要因である事を知っているが故である。季節に実る果物、雑穀、受け継がれる知恵から得られる薬草や魚、獣、その他野生の野菜や穀物類、あらゆるものが与えられていた。人は実りをいただく代わりに祭りを行った。そう考えるとアニミズムが全世界的に存在する事にも納得である。神が万物に宿っているということを、古代の我々は知っていたのだ。最近、量子力学の分野で、素粒子か何かにも魂が存在するというような論文が認められたという。

(......)

どうやら我々の祖先は少なくとも5000年前にはそれらに気づいていたと思われる。

(草木、ケモノと口がきけた時代...)

と神話の中では記述がある。変われば変わるものである。

(今や...原子力発電所...?)

オレ達の身体の中で騒いでるのは、彼等の血かも知れない。


★盆仕草

 新幹線の車窓の中を景色が高速でながれてゆく。人も木々も川も鳥も、鳴りをひそめてあらゆる営みを停止させているが如く、移りゆく景色には一辺倒の無機質さが孕まれている。今、自分がどれほどの猛スピードで動いているのかを、その表情を失った日本の風景が教えてくれる。広島駅に降立ち、船に乗るために港へと向かう。68年前に原子力爆弾を落とされた町を、路面電車が縫う様に走る。

(明日は敗戦記念日だな...)

西に傾いた陽が赤く染める宇品港をゆっくりと出航する船がある。呉を経由して目指す港は伊予の国、高浜港である。かつて苦しみながら焼かれて亡くなっていった人達を思い、離れてゆく陸に向かって手を合わせる。眼前には穏やかに波立つ瀬戸の海が銀色に輝いている。行き交う船は滑る様に水面を走り、海鳥は雁行型に空を渡る。おにぎり型の小さな島々の影が、斜陽に照らされてくっきりとその姿を浮かび上がらせている。身共は甲板に昇って暫く潮風に吹かれてそれを眺めていた。

(ん...?)

ふと、フェリーがたてる白波の上へ視線を落とすと、ペットボトルが踊っている。一瞬目頭が曇る。人間の...というよりも己の生活が依存するこの文明に思い馳せる時、問題は山積みでならない。自動販売機から出てきたペットボトルがやがて瀬戸の海に浮かぶ。何気なく手にするあらゆるものが再生不可能な現代社会の営み。

(すべて繋がっている...)

と実感しながら生活したい。空と海とが紅に染まって混ざってゆく。太陽と地球とが織り成す夕暮れが沈黙したかと思うと、東の空高く鞠の様な月が輝いていた。程なくして船は伊予の地へ静かに着岸した。


盆の空はすこぶる青く、瀬戸内独特の小さな入道雲が低くぽつりぽつりと浮かんでいる。木々は青々と燃えんばかりに繁っている。手にした柄杓から溢れる水が祖母の墓石を濡らし、香から立ち昇る糸の様な煙が風に揺れ、辺りがほのかに薫る。

(この人がいなければ、身共が産まれてくる事もなかった...)

すべてが繋がっていると考えたい。寺の裏山からは、蝉しぐれがこだましていた。


祭の準備は日々慌ただしさを増していた。三津浜の港に祭を現出させるためである。"ケパソ"と銘打たれたその集いを始めたのは6年前に遡る。今年は4回目にあたる。首謀者であるドックは中学時代からの同輩である。共に四半世紀を音楽革命に捧げてきた同志と言えなくもないが大袈裟ではある。兎角アナーキーでピースな奴である。そこに賛同されたし、みっちゃんや、アルイや、まっちゃや、なぎや、カツオたちと会場作りが始まった。お天道が煌煌と燃える最中、草むしりから設営、電球を吊るしたり、テントを立てたり、リハーサルをやったり、サザエさんが持ってきてくれた水瓜の差入を頂きつつ、たくさんの人々が作り上げた空間が、築100年の木造蔵を取り巻く様に出来上がった。潮風がほんのり涼しさを運んでくれる。あとは祭が始まるのを待つだけである。


照りつける日差しによって気温は鰻登りの日中。しかし案外に蔵の中は涼しい。扇風機を回して、氷を入れた桶を風の前に置く。幾らか涼しい風を送るためである。2階建ての蔵の1階がダンスフロアになっている。ライブは地元の唄三線グループ"シマウタ電化サービス"を皮切りに、松山が誇るスカバンド"スカッターブレインズ"や、大阪からはアニキ"ロホレガロ"がはるばるやってきてくれた。我らが"問組"も初ライブで参戦。DJ陣もナイスな輩達が集まってくれて大盛況であった。出店もあって、どこか懐かしさが漂う盆踊りであった。資材を貸してくれた地元の協力者達にも、一緒に創り上げてくれた仲間達にも、皆様に心から感謝の気持ちで一杯である。貴重な蔵を使わせて頂けた事にも、深い感慨を覚えた一日であった。


祭の後は決まって静かな時間が流れるものである。翌日は後片付けを終えた後、道後温泉別館"椿の湯"でゆるりと身体を癒し、一人、また一人と伊予の地を離れ、東京、京都などへ帰ってゆく。

(またいつか三津浜の居酒屋で酒を...)

と、そう心で呟いたのは身共だけではなかったかも知れない。


港町の空はどこまでも深い青を映している。三津浜という地を訪ねてみると、古くは"ニギタツ"という地名に行き着く。皇族の祖先が大和まで昇る際に立ち寄ったとされる云われがあるが、何があったかは定かではない。身共の研究の一つでもある。つまり古の大国主命や聖徳太子の逸話も残るような滅法古い道後の湯に、人々が集まらなかった訳はないと思われる。その海の玄関口として三津浜は古代から必ず栄えたであろう。賑やかだったに違いない。近所に巨石を積み上げたカレンダーがあるのも頷ける話である。もちろん海賊達が治めていた地域であろうし、太閤の扶持を受けるまでは、平氏のながれを汲んだ反体制であったはずである。因に道後を治めていた湯築城は15世紀に秀吉の軍に滅ぼされている。海を生活の糧の場として選んだ人々は、現代社会を渡るために漁業や港、造船などを生業としたはずである。何故、戦艦大和が呉で造船されたかは言うを待たないだろう。この島国の交通は古代から陸路より海路が中心であったために港町では混血も進んだ。そんな三津浜の氏神はやはり"厳島神社"である。白い砂地の境内には、立派な赤松の老樹が昇り龍の如く聳えている。

(たしか神社に奉納された古い絵馬にも蜷局を巻く双龍が描かれていた..)

秋には喧嘩神輿で賑わう境内の松の木陰に腰を下ろしていると、鳩の群れが羽ばたいてきて、身共の辺りを埋めはじめた。その数100羽は超えている。

(たれかが餌付けしているらしい)

生憎なにも持ち合わせていなかったので暫く眺めていたが、やがて鳩も見切りをつけて1羽、2羽と徐々に方々の日陰へ去ってゆく。程なく身共もその場を発った。


松山空港を飛行機が離陸したのは酒場の日の朝であった。眼下には瀬戸の島々が青い海に点在している模様が見渡せる。やがて小さくなったかと思うと、雲をかすめて東へ進路を取った飛行機は関東を目指して飛行した。成田空港に降り立つと空は霞がかっていた。そもそも生活する人間が多い以上、排出するガス等の量も増えるのは当然と言えば当然かも知れない。今、我々の用いる文明が地球の手綱を握っていると言えよう。瀬戸内海に浮かぶペットボトルと、関東の空模様は同じ警鐘であるかのように感じられる。バスに揺られて武蔵野に着くと、井の頭の公園にはつくつく法師が鳴き込めていた。盆が過ぎればもう秋は其処までやってきていた。



★文月二十七日

(はやい...)

得てして現代は早さが肝である。"便利"という言葉の影に、常に迅速性が求められている。効率がよくなくてはならない。コンビニですばやく食料を調達し、フェイスブックで即座に情報を交換する。飛行機ですばやく移動して、原発で効率よく電気をつくる。総理大臣も臨機応変に替えるのが得策である。果ては最新兵器ですばやく多数の人間を殺める。西洋医学が持つ即効性に似ているとでも言うべきか。現代は有り得ないほどの速力でもって動いている。本来有り得ない事だからこそ、それらには科学力や技術力が必要とされ、推進力に資本を、潤滑油に悪知恵をといったところが求められる。つまりウラがある。果たしてコンビニの食料は食べ物なのか?フェイスブックで得た情報は本当に早急性が求められている事柄なのか?飛行機は大気に何を撒き散らしているのか?住めない土地をつくった原発は効率がよい発電方法と言えるのか?総理大臣は誰のための人間なのか?抗癌剤は身体の中でどのような事態を巻き起こしているのか?そして人々は"迅速性"によって獲得した"時間"をどのように使っているのか?疑問は湧水の如く流れ出るばかりである。釘を刺す様だが、科学や技術に雞知を付けたい訳ではない。本来それらは人々の幸せのためにつくられたはずであり、更に付け加えるならば、

(この世のためにあるべきだ)

とただそう思っているのである。しかし現状の限りはまず、その様に成就してはいないだろう。つまり"誰かのためのもの"に成り下がっていると見る。

(憂いな...)

下は中世の公家に流行った今様、"影法師"である。


影法師


雪かあられか大宮の

月の宮居のわびすまい

世を憂いしと住む影法師

憂いしや憂いし

酔(え)うも憂いし

うたうも憂いし

恋うるも憂いしや影法師


世は憂いものであるらしい。否、人が憂い存在なのかも知れない。失ったものは多大である。コンビニによってなくなった日本中の商店街。フェイスブックでなくなった井戸端会議。飛行機でなくなった馬車。原発でなくなった共同体。政治によってなくなった...。

(止めておこう)

冷笑が浮かんできた。

(愚痴っぽくなっても仕方あるまい)

トドの詰まりが自分次第なのだ。

(誰に言っているのやら...)

である。日記というこの場故の乱筆乱文の赦免を願ってここいらで筆を擱く。


文月二十七日


★文月初日

 梅雨の真っ直中とはいえ、武蔵野のお天道は上機嫌である。夏がすぐ間近ににじり寄りつつあるのをひしひしと感じる今日この頃。雨も時々降ってくれるおかげで、ゴーヤもすくすく成長している。

(この調子では夏のツアー中に電線を伝って他家まで伸びてゆくかもな...)

そんな心配を今からしているくらいである。自然の力には毎度頭が下がる。ネットの片隅に蜘蛛が巣を張って獲物が来るのを待っている。

(たくましい奴...)

こいつも生きているし、おれもなんとか生きている。ただそれだけでもある。

(今更ではあるが...)

今更ではあるが、やはり原子力発電というモンから早く脱したいものである。手前のケツは手前で拭かなくてはならない。国民の殆どの人間が願って止まない、それは切なる思いでもあるのかも知れない。意識の差は勿論あれど、今やたれもが切望しているのが所謂"脱原発"であると思う。しかしながらこの世はそうは動かない。そう動かせない働きが止まない。

「国民の関心を早く! 逸早く原発から遠ざけなければならぬ!」

「左様。さもなくば我らの首が飛ぶというものだ。」

「うむ。それだけは避けなければならぬ...。」

何処からともなく...唸る様な悪鬼どもの会話が聞こえてきそうな気配を漂わせる昨今の世情。やつらは絶対に床に座して会話などしないし、ゴーヤの苗を植えることもしない。勿論節電などはしない。空調がききまくったバビロンタワーの一室でせせら笑っているのが関の山である。

(さて、ひとりの人間としてやれる事は何ぞあるかえ...?)

と、そう考えざるを得ないのが人としての道理ではあるが、なかなかに複雑だし、決して一様ではない。闘争もあれば和解もあるし、裏切りもあれば融和もあるだろうし。無情の中に一分の人情もあると言う。なにをとるかは人それぞれ、どう感じるかはあなた次第といった具合である。民主主義のカラクリからすれば、デモクラシーも立派な意思表示である。選挙が"選択"の意思であるならば、デモは"反対"の意思を示す重要な役割を持つ。一方は法で義務とされ、もう一方は権力の監視の目や弾圧の手に曝される。

(さもアンバランスな代物よ...)

と、遠吠えしている訳にもゆかない。

(はてさて、一人間として、一音楽家として、おれになにができるのか...?)

改めて心底そう思わされたのは、先日出演させて頂いた橋の下アジア音楽祭にてであった。快晴とまではゆかない空模様でも、河川敷に降り注ぐ太陽の光を一身に受けたソーラー発電が電気をつくっていた。なんとも素晴らしい電力である。敷き連ねたソーラーが日光を得て産む電力は、ギターアンプを通して音にも如実にすさまじい力強さをもたらした。

(何故、こんなに素晴らしい発電方法が普及しないのか...?)

タートルアイランドという存在が打ち鳴らす音が、空気が、人が、その日の豊田大橋の下には満ち満ちていた。自由と創造が産んだ真の祭が現出した数日間であり、とてもたくさんの思いある人が創り上げた壮大な音楽祭であった。電力は太陽光だけである。自由な電気と人を音楽が繋げていた。それは原始的であり未来的である。

(ありがとうございました!!)

もっと自由に電力を選べなくてはならない筈である。選べた上で原子力発電が産んだ超高価な電気を買う人なんて皆無だろう。50基以上も造らせてしまったこの現状は、ある意味では民衆の怠慢であると言えるのかも知れない。しかしそう言ってしまっては情けが無いってもんでもある。

(まず送電線を解放した上で、発電の独占をやめるべきではないか?)

そうすればゴーヤが電線を伝って伸びてもたれも文句は言わない。言いたい事が山とある三十路過ぎの男のボヤキか、はたまた一民衆の一途な叫びか、若しくはその両方かは相知れないが、最後まで読んでくれた方に感謝して此処いらで擱筆しておきたい。空が白んでカラスが鳴いている。部屋にはまだ涼し気な夜風が吹き込んでいる。


★みちのく旅烏

 清志郎さんの4回目の命日にあたるその日、僕は夜が明けて間もない世田谷のR246沿いにいた。晩春の朝陽に侵された空気が心地よい冷気を孕んでいた。ベーシストNAGIを含む僕等の一行はGRAVITY FREEのワンボックスに乗り込み、一路東北道を北へと走り始めた。目的地は宮城県石巻である。GWの大渋滞にもめげず、安全運転でハンドルを握ってくれたdjowさんには感謝の気持ちで一杯であった。約12時間の道程を経て、石巻のボランティアベースに到着した頃には、すっかり夜の帳が降りていた。

「ようこそ!」

出迎えてくれたのは今回大変お世話になった”古民家再生IBUKIプロジェクト”の大工さん、BUBBさんであった。そのプロジェクトは、牡鹿半島の大原地区で津波に流されなかった貴重な古民家を再生し、新たな息吹を与えるべく活動している団体である。

「お世話になります!」

挨拶と食事を終えた一行は、宿舎がある大原へと車を走らせた。石巻市内から牡鹿半島へ橋を渡ると、辺りの闇が一層濃くなる。道路が至る場所で歪み、地面が沈んでいるのが分かる。大変な被害を被った地域である事を、嫌でも知らされる光景である。僕は瞠目せざるを得なかったが、それでもやはり(この2年間で人々が増え、建物が増えた)と皆が口を揃える。しかし闇夜の深さは際立っていた。墨汁を落とした様な夜道を車のヘッドライトが縫う様に走る。すると道路脇に鹿の親子がいるのが見えた。"牡鹿半島"の名前の云われである事は言うをまたないが、ここには約5000頭余の鹿が棲んでいるという。東北地方はかつてアイヌの土地であった。中世を経て遂行された征夷は、彼の地"日高見"を我がものにせんとした大和の軍事事業であった。伊達政宗もそれを知らなかった訳ではあるまいが、この牡鹿半島は伊達藩の鹿狩りの猟場としても名高い。街灯の乏しい暗闇の道を抜け大原に着くと、頭上にはかつて見た事の無いほどの満天の星々が輝いていた。



さて、ここ牡鹿半島に渡波(わたのは)という地域があるが、そこに鎮座するひとつの古社がある。名を伊去波夜和氣命神社、通称を明神社という。海岸から然程離れていない小高い丘に建っているその神社で、震災時200人を上回る人が津波を逃れたという。しかしながら助かった人ばかりではなかった訳で、宮司さんの意向により境内に被災者の祖霊社を建て、今年のお祭りでその建設記念式を行った。そこでGRAVITY FREEが社に絵を描き、僕らが演奏をした。震災時は二カ所から合流した津波が、この神社を中心に渦を巻いていたと言う。殆どの家屋を流した津波だったが、それでもこの場所は人々の命を救った。聞く話によるとこの神社は、いざという時の避難所として古代から伝えられてきた場所であると言う。古い神社などの聖域はやはり、その様に意味を持つ場所であるのだと分かる。祭当日は古い神輿までお出ましして大盛況であった。何より人々の活力が半端ではない。祭は直会をいただき幕を閉じた。その後石巻市内に移りコーヒーショップ"ROOTS"にて夜の祭が始まった。ここでもライブをやらせて頂き、グラビティーフリーが絵を描いた。人々は混ざり合い、石巻の夜は深く深くどこまでも更けていくのであった。



この旅は僕に、津波が流したものの計り知れなさの一端を垣間見せてくれた。それはあまりにも大きい力である。渡波沖は海底が露出するまでに潮が引いた後、高さ35メートルの津波が押し寄せた。それでも神社は一握りの人々を救い、そこに生き残った人は力強く生活していた。学ばされる事ばかりであった。帰り際、石ノ森章太郎ミュージアムに多くの来客が見られた。ここ石巻は、日本中の多くの人が訪れるべき場所であり、自分もまた訪れたい場所である。とにかく心底そう思った訳だが、この後に続く福島県富岡町への旅によってその思いはより強くなるのであった...。


★27 years later

 長かった三寒四温の日々が漸く過ぎ去り、東京の日差しにも徐々に力強さが漲り始めた今日この頃。ツツジが彩る街並は俄に活気を帯び始めている。世間は所謂ゴールデンウィークというまやかしに踊らされている最中である。僕はといえば相変わらず、六畳一間で日本酒を煽りながら日々の鬱憤に燻られている。今宵のお供は福島県磐城の純米酒”又兵衛”である。肴には蓮根のきんぴらと、古志の蕗で作った蕗味噌を添えた。それらに箸を延ばしつつ、先人達が育んだ伝統に舌鼓を打つのが僕の至福の時間でもある。酒にしろ郷土料理にしろ、僕らの胃袋にはやはり馴染み深い味としか言いようが無い。郷愁にも似た味わいである。西洋式のファストフードでは決して味わうことの出来ない和の産物である。

「人類史上最悪の悲劇とされるチャルノブイリ原発事故から27年が経ちました...云々」


先日、久々に電源を入れたテレビからステレオタイプのナレーションが流れてきた。僕が5歳の時に爆発したチェルノブイリ原発は、甲状腺がんの発症を3000人以上も伴い、放射能汚染によって数々の悲惨な事態を招いた。それらは明白な事実として現在は誰もが認識している事柄である。そして25年後の一昨年、大地の怒りによって日本国は福島県の原発が吹っ飛んだ。


(何を以て人類史上最悪とぬかすのか?!)


チェルノブイリでは住民を即座に避難させ、原発は石棺した。要するに人々を守り、瓦礫を封じ込めた。しかし我が日本は全く逆の行為を遂行してしまっているように見える。人々を閉じ込め、汚染を拡散させている。少なくとも僕の眼にはそう映っている。もしそうだとしたら、一体どちらが最悪なのだろうか?


(人類はやはり不完全らしい)


インド解放の指導者ガンディーは言った。「不完全だからこそ反省し、自己を統率しなければならない」と。過去から学び、反省する余地を我々人類は持ち得ている。それが歴史というものの役割でもある。ヒンディーの歴史の概念は民衆の立場で解釈される。綿々と連なる当たり前の日常によって”このようになった”という結果が彼等の歴史である。しかし英語で言う歴史、即ち"ヒストリー"の古来の語意は”帝王たちの成果”である。まったく意味するところが違うのだ。昨今の教科書に載っている歴史もまた同様である。現代人はある特異な出来事の羅列を歴史と呼びたがる傾向にあるが、本来、僕たちの歴史とは祖先から受け継がれてきた日常の繰り返しの成果である。それらは伝統や伝承と呼ばれる、民衆の一挙手一投足の連続である筈である。それが歴史の本質であるのだ、とそう思いたい。


(もはや限界なのか?)


議会制民主主義は結局、権力者たちの産物のようである。考えてみたら、顔もよく見えない、声もよく聞こえない民主主義などあろう筈も無い。政治家は選挙のために働き、メディアはそのために動く。当然そこには真の正義が実現される余地などありはしない。かつてタイマーズもそう歌っていた。そして今もほとんどの人が理念と現実との狭間で生きている。主体性を求めながら、様々に観念化された欲望と自我の中で、曖昧模糊なこの資本主義社会の荒波を漕ぎ進む。近代的システマティック社会が失ってしまった何かをどうにか見据えながら。


まだまだ希望は捨てられない。だからこそ僕らは生きている。


★南島ブラクラスタ

 春先だが関東は雨模様の空だった。成田空港から二時間半、彼方上空の大気を切り裂きながら飛行機は空を飛ぶ。那覇空港に降立つと湿度を存分に含んだ空気が出迎えてくれた。季節を"うりずん"という。新緑がはじける短い春である。まもなく"若夏"という初夏を迎える。"夏至南風"(かーちーべぇ)といううちなーぐちがあるが、北西の風が衰え南風が吹くと、島には厳しい夏がやってくるという。

(一年ぶりか...)

久茂地の公園を歩きながら立派なガジュマルに目をやると、長い髭根が大地に垂れていた。台風にさらされながらも力強くうねる様に聳えるこの大樹を見ると、やはり島人になぞらえてしまう。現に琉球弧では強靭なものの代名詞でもあるという。鳴く鳥の声も、咲く花の種類も、吹く風の香りも、暮らす人の様まで本州のそれとは異なる。歴史に於いても、現状に於いても、本州のそれとは変わった情景を呈する島であると言える。青空とコンクリートの間にブーゲンビリアが色を添えている。南国を代表するシソ科のかわいい花弁がいたるところで凛々と咲き誇っていた。

(北緯を10°も下ると、ここまで暖かいんだな)

日本地図をひらいてみると、九州南西の海に台湾まで連なる島嶼群を確認出来る。奄美諸島、琉球諸島、八重山郡島を総じて"琉球弧"と呼び、南海の貿易中継地として古代から栄え、中世を経て王国へと発展した。シナ文化、メラネシア文化を内包しつつも、それらと日本とを繋ぐ海の交差点であった。むしろ倭が平定される中世末までは、首里を中心に高い文化の花を咲かせた。島のあちこちに点在するグスクと呼ばれる城は主に聖域であり、要塞であり、現在は遺産であったりする。1609年。当時の薩摩藩主島津家久の琉球侵攻により栄華を奪われ、やがて長い隷属化の歴史を強いられる。その後も太平洋戦争では日本で唯一の陸上戦が行われ、無数の悲劇を生んだ。戦争は幾多の命とともに文化も奪った。

(おもろさうしまで...)

そうして訪れた"アメリカ世"は、更に島に影響をもたらした。この島がある種の異風の魅力をたたえるのは、そういう側面をすべて秘めているからなのだろう。しかし僕が沖縄を訪れた理由は基地ではないし観光でもない。"南島ブラクラスタ"というパンクロック祭に出演するためである。コザの町にはパンクスが生きている。そしてよく似合う。都会で目にするコスプレの類いでは決してないリアリズムに満ちている。基地と共に暮らす現実が裏打ちする風景がそこにはある。

(沖縄で飲むオリオンはひときわ美味しいな)

前夜祭は飲んで記憶をなくすまで酔った。久々に会えた友だちとの宵がうれしくて仕方がなかったのだが、おかげで翌朝はメンバーの説教で目覚める羽目となってしまった...。

(言い返す言葉はみあたらない)

当日はまさにお祭りだった。あらゆる人が自由に各々を燃え上がらせた。パンクスが街を動かしていた。動員は300人を越えたという。米兵の顔はほぼ見られなかったと思う。どうやら自粛がかかっていたらしい。おまけに翌日の琉球新報、沖縄タイムスの紙面までにぎわした。後日ジャックザニコルソンズの小町君は「あの日は革命が起った」と話している。

(たしかに)

と思ったが、それはきっと彼等が一番実感している事なのだ。

「人を殺して得た金なんていらねぇ」

愛樹さんの言葉にその日は集約された気がするが、これもきっと彼等が一番感じている事なのかも知れない。

(どうもありがとう)

この場を借りてお礼を言いたい人がたくさんいる。那覇、コザ、名護の又旅は、僕にいろんな事を教えてくれた。すばもたらふく頂いた。おかげでお腹が出た。写真はほぼほぼ撮っていなかった。それくらい充実していたということか、はたまた酔いつぶれていたということか。兎に角いろんな状態がある。古里に帰りたくても帰れない人が、この島にもたくさん居る。基地はとてもでっかい。

「いちゃりば ちょーでー」

オキナワの言葉で"行き違えば兄弟だ"ということだが、意味が二つあるという。一つは"知り合ったなら兄弟のようなもんだ"ということ。そしてもう一つは"知り合っていろいろ話してみるとほんとに兄弟だった"ということらしい。小さな沖縄という島ならではの意識が生んだ素敵な言葉だと思う。

(文明は都会化したな)

人口が流動して、知らない者同士が隣り合い、共同体の意識が薄れた。現在都会で犯罪が多発する原因をここにも十分に見出せる。"愛"は一個人では成り立たない言葉だという。相手が居てこそ成立するのが"愛"であるというのだ。だとしたらそれはI&Iに他ならないし、勾玉をシンメトリーに合わせたハートのモチーフと酷似する。日本ではすでに縄文時代の土偶にも現されていた古来のハート型である。沖縄に居ると綿々と続いている祖先崇拝とニライカナイ信仰の片鱗をかいま見る思いがする。お墓の大きさを見れば誰もがそう思うだろうし、信仰という面においては日本でも類を見ないほどあつい土地であると思う。

「ご先祖様に申し訳がたたない」

江戸時代を描いた小説などを読むと、日本人には義理や人情がいきいきと根付いているのが分かる。忘れた訳ではないが、目くらましされているのも現状らしい。いま沖縄からなにを学ぶのか。

(兎に角)

自分が学ぶのだ。そこから始まらなくてはならない。今夜も武蔵野の部屋でマルフクのレコードに針を落とし、カンカラサンシェンをはじく。



★"未来世紀メキシコ酒場"告知

 二月二十八日、木曜日。如月末日。東都南風が吹きて頗る温暖になり候へども、日暮れ俄に雲沸き立たち候。月弥生に変わりて丑三つ、未だ雨には至らざる空模様に相成り候。暗雲翳める朧げな宵月が武蔵野を照らせり候。民皆固唾を飲んで春一番を待ちわびる日々を送りし候に付き。来たる春分は三月二十日を皮切りに、毎月第三水曜日、所は東京渋谷、スンダランドカフェにて、平日の夜酔をお預かり賜いし候へば、ここに"未来世紀メキシコ酒場"なる宵を開催仕り賜いし候。未来世紀メキシコ一同参上仕りまして、皆様の御来場、切にお待ち申し上げ仕り候。


此れを以て、いざ、未来世紀メキシコ酒場の、はじまりはじまり〜!!!!



「未来世紀メキシコ酒場 第一回」


3/20(wed)

18:00〜23:00

@ SUNDALAND CAFE 


DJ :SAUDI,S.O.C.,RE.EKDDIK

LIVE ;EKDDIK

SHOP:FZMX,5W

SPECIAL FOOD & DRINK & MORE!!



追って詳細は報告致し候。


★デンワガナラン

 昨日の満月は美しかった。井の頭の夜空には一筋の雲も無く、悠々と浮かぶお月さんの姿は、いつもより幾分膨らんでいる様に見えた。思わず月見酒をきめ込んだのも昨夜の出来事であった。今宵も井の頭の夜は静けさに満たされている。理由は地理的なものであろう。大きく公園が横たわっているので、車の通行量が至って少ない。昼間は学生たちの談笑やらで賑わっている表通りも、夜はくたびれたサラリーマンが時折、革靴のかかとを鳴らして歩く音が聞こえてくる程度であった。

(しくじった)

日本酒で唇を濡らしていると、ある事に気がついた。道理で誰からも連絡が無い訳だった。

(携帯電話が止まっている...)

いつも肌身離さず持ち歩いている携帯電話だが、こうなってしまっては時計くらいの機能しか持ち合わせていない。今やほとんどの人が持っているであろう携帯電話。現代の子は何歳くらいから手にするのだろうか?かつて僕らは頻繁に使う番号を暗記していたし、会いたい人を引き寄せる力も持っていた。今やそれらの能力は必要性を欠き、失せたと言ってもいいのかも知れない。現代社会の推進力である合理主義の波は、数々の人間の営みを変えたであろう。古来からの人間の能力や文化に新しいメスを入れ、"迷妄"という理屈を拵え、抹殺したであろう。その上で”発展”をしたのであろう。そして今も多大な変化を与え続けている。だが今夜は...。

(わるくない)

メールは言わばテレパシーで、通話は遠隔通信能力の代替だと言える。現代人は脳みそを30%くらいしか使う事が出来ていないらしい。即ち人はまだまだ未知で、科学では分からない神秘に満ちているという事が言えるのだ。では合理的な科学が産まれる以前はどうであったのか?例えば日本の縄文時代の文化に"夢告"というのがある。読んで字の如く"夢の中のお告げ"であるが、これは眠りの中で他者と遠隔通信を可能にする能力だと思われる。日本の神話にも数々の夢告が登場する。タケミカヅチが神武にフツノミタマという聖剣を送った事を知らせる際にも使われている。そんな"夢告"を円滑に行う為の装置として山頂ピラミッドが造られたらしい。素材には水晶を使用していた。ご存知の通り現代のラジオが電波を飛ばす為に使うのも水晶である。ラジオには微量の水晶が使用されるが、古代、例えば甲府にある昇仙峡では原石のまま山頂に水晶のピラミッドが造形されていたらしい。その規模で電波を飛ばすとなると果たして...?解明は現代科学に委ねたい。"夢告"とは言わば古代の科学であると言える。迷妄性と合理性が同居している科学なのだ。

(しかし...いかがなものか)

問題は携帯電話であった。現代は如何せん多忙である。それにマナーやモラルが必要以上につきまとう。携帯電話が繋がらない事は最早、無礼に当たるのではないか?現代は現代でこれまた難しい構造を秘めている。僕らの祖先が残した伝承や言い伝えの類いも、合理主義の前には"迷妄"のレッテルを貼られた当事者に他ならなかった。そもそもイデオロギーの話は好みではないが、要するに伝承を失った人々は、知識を無くして教育が出来なくなり、それ故に法に頼るという図式のようである。法よりも先に心があるべきだと思うのだが、それさえも"迷妄"だと言えるのだろうか?いやいや、それこそが人ではないのか?だとしたら人間とは...。

(寝てしまおう...)

銭を払えば遠くにいる人と会話が出来る。能力を銭で買うのだ。実行するかしないかは明日の己が決めてくれる。今夜は夢告を待つ事にしたい。以前に松本人志氏が「携帯電話が人体に埋め込まれる日が来る」と言っていたのを思い出したが、強ち無い話ではないのかも知れない。


★昼下がりの酔鯨

 如月の昼下がり、お天道の陽光が窓辺の植物たちを隅々まで照らしている。北風はまだ吹き止まないでいた。僕は昼の八つから、土佐の純米酒”酔鯨”の入ったおちょこを傾けた。ここ東京でも高知のお酒を味わえるのはありがたい。けれど、この酒をここまで運ぶ為にいくらか地球を汚した事には違いなかった。「いわゆる発展とは...?」と疑問は量産されるが、回答は雲隠れである。いや、ときには単純明快であるとも言えるか。何故ならそれらの話には大抵、銭が絡んでいるからであった。音楽を奏でてそれを得る者もあれば、人を殺してそれを得る者もある。皆、多かれ少なかれ銭を稼がねば食っていけぬ仕組みが出来上がっている。恰もまやかしの如く、それは世に霞がかっている。特に都会ではその手段が実に多様であると言える。誰が良くて誰が悪いのかではなく、現在そういった仕組みの基に暮らしているだけの話でもある。ただ、先進国と呼ばれる国々にその傾向が甚だしいのは言うを待たないだろう。ともあれこの酒が、二酸化炭素等を大気に撒き散らしながら東京まで運ばれてきたのは事実であるし、同時に銭を産んだ事もまた相違ない筈である。


日本の政権は変わった。「自衛隊に四百億円の追加予算...、生活保護六百七十億円予算削減...」。ゴージャスさんからのメッセージが、マスの目を掻い潜って僕のポケットの中で鳴り響いた。そもそもマスメディアと情報局の関わりは如何なるものなのか?と言い出したらきりがないが、愚痴ではない。思い返すならば、日本という国は原爆も食らったし、原発も吹っ飛んだ。どう見積もっても遠い過去の話ではない。その都度、有り様が変わり、心模様が変わる。昨今の日本を見つめる世界の視点はやはりそこら辺にあると思われる。宮崎駿氏が描く世界はそれらを多いに内包しているし、大友克洋氏も同様に世界の終幕以降を描いていると言える。漫画は既に文化であるという。「最も進化した書物である」と唱えた人もあった。「何故、日本人は漫画文化を築けたのか?」と、また疑問が産まれた。しかしその応えとして、この国は"世界で唯一の経験者から成る民が暮らす列島であるから"だとは言えないだろうか...?


随分と酔いがまわってきたらしい。日中の酒は何故か効く。先刻観た、東ティモールのドキュメンタリー映画を思い出しながら回想を巡らせてみたが、とりとめを失いつつある。兎に角、僕はその映画を観て東ティモールという国が大好きになった。映画がどうであると言うより、人々に感動した。そして唄が素晴らしかった。来月、僕は南西の島へ行く。その島の唄も素晴らしい。しかし、現在その島は武装されている。何かの為に、まさにARMED ISLANDと化している。季節はうりずん。かつてこの弓なりの列島は”大きな輪っか"に包まれていたという。タイワン、オキナワ、ワ、ワッカナイ、すべて”大きな輪”を示唆する。僕は飛行機に乗って、地球を汚しながら空を飛ぶ事になるだろう。何が良くて何が悪いという話でもなく、何を感じるかなのだと思う。一年ぶりに友に会えると思うと心が沸き立つ。ぬる燗の片口が空いた。此処いらで擱筆しようと思う。少し傾いたお天道の光が、六畳一間に深く差し込んでいる。