★ガリフナの夜

(丑三つ時が好きだ...)

何故なら、一日の中で最も気分が落ち着くし、真っ平になれるからである。人間、ホルモンバランスを整えるために必要な睡眠は、午後の22時〜午前2時までだと言う。

(まぁ...)

とにかくおれは体に悪い生活を日々繰り返しているらしい。

(とりあえず一服するか...)

と、真夜中の武蔵野の空を見上げる。片手には"三岳"の水割り。霞がかる夜空には朧な下弦の三日月が淡い光を落としている。見渡す限りの武蔵野平野。

(まさしく日本の夜だな...)

日本の夜の色は真っ黒ではない。深い紫色なのだ。だから甲賀忍者の"墨流し"は濃い藍色だった。闇に溶け込むために。

(流石やな...)

四畳半の部屋から聴こえてくるのはガリフナの音楽。僕はガリフナが好きだ。メキシコ先住民(主にマヤン)と、黒人逃亡奴隷の混血音楽だと言われている。現在の国で示すならば中米ベリーズ辺り発祥の音楽である。

(ロックでアフロでラテンな音楽)

ギターも乾いていてかっこいいし、うたも好い。パカスも好きな感じだ。アンディ・パラシオにしてもだけど、そんなところが好きだ。最近、"赤い商店"で『ガリフナ・コレクティブ』なる編集盤を手に入れたのだが、これが一際よい。

(ありがとう!)

この世にたくさんのすばらしい音楽が溢れていて、それを奏でる人々がいることに感謝したい。そんな春の夜の一筆。乱筆乱文御免候...。


★THE DOLOMITES & NATSUMI SUZUKI JAPAN TOUR 2014 in 仙台,盛岡,東京

Photo By FUJIESPERIENCIA


 

 

 

 

★STONE CONVERSATION

 古代人の痕跡。それらは我々現代人の目には、なんとも理解し難い不可思議な遺物にしか見えないようだ。日本各地に分布する巨石の類いもそのひとつである。アニミズムの流れを汲む神道に於いては、それらを"磐座(イワクラ)"と呼ぶが、人類の文化はその発生当初から”石”とおおきく関わりを持ってきた。所謂石器時代はおよそ250万年を遡ることが出来るという。はじめは未加工の石を道具として使用した。やがて生活のなかで利便性を求め、打ち砕いたり、研磨したりして、性能を高めることを可能にした。そんな旧石器人の技術が最も花開いたのが巨石文化であると思われる。世界各地に点在する、メンヒル(立石)、ストーンサークル(環状立石)、ドルメン(列石)など、形状は様々で、その数は計り知れない。そして何よりも用途が謎である。学者の見解も千思万考なのが現状だ。

さて、僕が先月、鹿児島県は出水市の山の中で出会ったのがこの巨石である。一見して分かるように、正確に男根のかたちが模されてあるが、これらを"陽石"と呼ぶ。周辺にはまるで何者かに荒らされたかのように、大きな石がゴロゴロと散在していた。事実、朝廷が興った奈良県大和の巨石には、意図的に壊された跡があるという。確かに、征服者にとっては先住民の遺跡など邪魔で仕方が無かったのかも知れない。16世紀にメキシコを征服したエルナン•コルテスが、湖に浮かぶ美しい水上都市テノチティトランを悉く破壊したように...。ここら辺に石の文化が解明されないひとつの大きな理由があると言える。つまり巨石は、彼等征服者側が創ってきた歴史の正当性を喪失させる恐れを孕んでいるのである。その結果、多くの"磐座"が注連縄によって封印状態にされた。

次に訪れたのが、"陽石"から程近い場所にある”陰石”である。言わずもがな、こちらは的確に女陰のかたちが模されている。写真では分かりづらいかも知れないが、高さは10mを優に越えている。しかも面白いことに、石の割れ目に男根が刺さろうとしているのだ。”性器信仰”とかいうそんな言葉や概念では片付けられない、なにか凄まじいものを感じた。おそらくは後期旧石器時代、即ち3万年から1万2000年くらい前に作られたであろうモニュメントだが、現在の技術では勿論製造は不可能だろうし、つくる人も居ない。かつては呪術的な場所だったのか、はたまた僕たちには想像もつかない様な用いられ方をしていたのか、全くもって謎である。

約1万2000年前、最終氷河期の海水面は現在よりも最大140mも低かったとされている。、日本列島は朝鮮半島やユーラシア大陸と地続きになっていた。よって現在は海に没している巨石も往々にして存在するだろうし、与那国島の海底に巨大な石の遺跡があるのも道理である。"陽石"から眺める景色は薩摩半島の西へと広がっていた。視線の先にはピラミッド型の山々が連なっているのが見える。幾万年の時を越えて、石は静かに佇んでいる。摩訶不思議なこの星が辿ってきた歴史の突端に僕らは生まれ、今を生きている。いろいろな過ちを繰り返しながら。それでも生きてゆく。そんな僕らに巨石は何を語るだろうか。また訪ねに行きたいと思う。


★EKD Rolling Cigarette Case


和柄の布を使用した、手づくりの巻きたばこケースが完成しました。中には刺し子やパッチワークを施したものもあり、どれもワンアンドオンリーの一品です。ライブ会場で販売致しますので、お越しの際は是非チェックしてみてください!

★オレ達の新曲もはいってるよ〜!!

  • Mestizos y Cumbia Musicos de Extremo Oriente

~極東混血音楽特集~

Various Artists

定価:¥1800 (WITHOUT TAX) ¥1,890 (in tax)

20142/5発売

POS: 4988044007345

Label: MECALIC SOUND/MS-002

Compiled by LITTLE MASTA for MECALIC SOUND

Mastering by Masahiro Kubota  Designed by FeyFon fromCh6

コロンビアで産まれ、レゲエ/アフロ/サルサの影響を受け進化してきたクンビアミュージック!!

日本/台湾でも続々とクンビア/メスティーソを標榜するバンド/アーティストが活発に活動し、高まりを見せているクンビアミュージックをコンパイルしたコンピレーション第一弾!!

収録楽曲(Performed/Music/Words)

1.風が吹くKaze ga fuku (afro BOOGALOO SKA ACADEMY/KAZU SUDO ){東京}

2.Garlic Holic(KATUSI from EL SKUNK DI YAWDIE &EXTRAVAGANZA feat. CHAN-MIKA+長崎真吾/CHANMIKA+長崎真吾/CHANMIKA){岩手/横浜}

3.X-DANCE CUMBIA(OBRIGARRD(HAZU main pass)/OBRIGARRD){名古屋}

4.La Cumbia Balkanera(La Cumbia Del Sol/Fao/Fao & Carol Avila){台北}

5.ちょんちょんキジムナー Chon ChonKijimunar(LITTLE MASTA/沖縄県民謡/照屋林助+川上進行+照屋政雄034-6212-9 政雄のキジムナー(JASRAC) {那覇/川崎}

6.骸骨ワルツCalavera Waltz (iYABASTARDS!/Kaoru/iYABASTARDS!){コザ}

7.iR(THE ZOOT16/THE ZOOT16/THE ZOOT16){東京}

8.Bambi(Rojo Regalo/PICO NAKAJIMA/KYOKO OGINO){大阪}

9.Cumbia Sobre El Puerto(EKD/EKD){東京}

10.MOVEMENT(SKYLARKING/Hiroki Hasegawa){名古屋}

11.串本節Kushimoto Bushi(Min-yo Crusaders/Trad of Wakayama Pref){東京}

12.CENTER GUY(DUB BASTARDS/HI-DE/HI-DE){東京}

監修のリトルマスタから一言

ワタクシゴトばかりになりますが、2002年にFidelNadal(元マノネグラ、元トドストスムエルトス)のフジロック出演をはじめとするジャパンツアーを一緒に演奏して、クンビアに本格的に出会って、このチョーかっこいい音楽にハマってあっという間に10年以上が過ぎ去ってしまいました。しかし、未だにハマり続けている。飽きやすい自分の性格からしてなんと懐の深い何でも飲み込んでしまう音楽なんだろう?と不思議に思ってしまうことも多々あり。この音楽の魅力をなんとか自分のものにしたい、色んな人に紹介したい、と思い、活動を続けてきました。

この10年ちょいの自分の活動はといえば、スカコア、スカパンクブームをオーセン的なものまで引っ張ってきたいと思い、やっきになってその時代にあうオーセンスカを模索していたブルービートプレイヤーズが案の定、無理しすぎて、空中分解→解散(現在は再活動中)し、自分も少しリハビリしながら、次、自分が夢中になれる音楽は何?といった状況でのFidelからの洗礼、THE ZOOT16への加入、自分のソロ活動をバンドに、といったものでした。震災→原発事故以降はメッセージ色も強化されざるを得ませんでしたし、沖縄に来てからは、更に前ノメリ活動。

さて、ギンギンに活動しているとやっぱ、面白いアーティストと沢山出会ってしまうもの。初めて会う人たちもいれば、久々の再会の人もいる。俊美氏や、ホテイ氏は、僕が、過去に脱線3A&Rをやっていた頃から知ってはいたのだが、よく話をするようになったのは、やはり、ズートで一緒になってから。昔の音楽的ベクトルは三者三様だったのが、見事にズートで一致したのは、単純に嬉しかった。昔からイベントで一緒だったEKDや、ミリオンバンブーで面識もあったロホは、僕が沖縄に来てすぐ、ツアーで来沖していたので、沖縄でこのシーンを盛り上げたかったものとして、珍しく追っかけし、よく話すようになったり。そんな中でコザの若いパンクスがクンビアやってるのを知って感動したり。(ヤバスターズ)2013年は積極的にツアーに出て、ダブバスターズや、オブリガードと遭遇してしまったり。(Very Be Carefulジャパンツアー2013)といった出会いが続いてしまうと一枚のCDで聴かせたいと思うのはレーベル運営者の性なのだろうか?スカで言うとSkaville Japanのようなコンピを作ったら面白いかもと思っていた所にFB経由で何やら台湾にクンビアバンドが居て東京ツアーをするらしいという情報が飛び込んでくる。次の自分の行動はいたってシンプルで「いいね」を押して、バンドの首謀者らしきFao Toへの友達申請である。即、繋がったことは言うまでもない。ネット経由でのやり取りは、KATUSI、スカイラーキンと続き、東京のバンドメンバーの「そら」にこの企画のことを話したところ、民謡クルセイダーズなるバンドを始めたというではないか!!クルマで音質の悪いリハ音源を聞かされたのだが、心の中では二つ返事でOKだったのだ。

最後に、こういった出会いの機会の数々をアツいイベントを通して与えてくれたショーゴ率いるジャポニカスや、いつも自分のワガママを聞いてくれるユニオンスタッフに感謝しながら、このコンピレーションが色んな人の手に取られるのを願ってやみません。

リトルマスタ

企画趣旨:元々、コロンビアで産まれたクンビア。レゲエ/アフロ/サルサの影響を受け進化してきました。この15年強、南米を中心にクンビア熱は全世界的に高まってきており、日本各地、台湾でも続々とクンビア/メスティーソを標榜するバンド/アーティストが活発に活動しています。そういったシーンの断片を残すべくコンピレーションを企画します。

参加アーティスト紹介

1.afro BOOGALOO SKA ACADEMY (東京)_スリーワンレングス、カリビアンダンディとぶれることなくレゲエ、スカ、ラテンと様々なクールな音楽をスピンしてきたホテイ氏ことKAZU SUDOのプロジェクト。今回のトラックにはDUB BASTARDSより、ANIKIryoheiが参加。DJとしての活動は、今や全世界を股にかける活躍で、国内/海外のビッグフェスへの出演は勿論のこと、Very Be CarefulManu Chaoなどの来日ツアーサポート、レギュラーイベント継続、と一体いつ寝ているのかと思うほどの活動ぶりだが、実際、現場で酔っ払ってフロアで寝てしまうと、誰も起こせないし、運べない(^^;レゲエを中心としたカリブ海近郊のREBEL MUSIC (ROCK LATINO-CUMBIA-MESTIZO-PATCHANKA-REGGAE-SKA-DUB-STEPPER-PUNK)にまつわる世界観を現代東京的に解釈し、ワンアンドオンリーなオリジナルトーキョーロッカーズスタイルをひたすら貫く硬派DJ

2.KATUSI from EL SKUNK DI YAWDIE &EXTRAVAGANZA feat. CHAN-MIKA&長崎真吾(岩手)_KATUSI_岩手県花巻市出身。90年代後半から、東京にて数々のバンドにてドラマーとしてLIVEやセッション、レコーディング中心に活動。03年、当時在籍していたバンドFISHDOGにてメルダックよりアルバムをリリース。05年より拠点を岩手に移す。サポートライブやレコーディングを中心に活動。09年、自身のバンドEL SKUNK DI YAWDIE にてPヴァインレコードよりデビュー。KAIKOO、ロンドンナイト、フジロックフェスティバルに出演。2010年、フェスタデラマ出演。2011年、荒吐、フェスタデラマ、フジロックフェスティバルへ二度目の出演を果たす。同年、TOKYONO1 SOUL SETのサポートパーカッションとして参加。2012年、ミュージシャン仲間と作り上げたソロアルバムをPヴァインレコードからリリース。2013年、パーカッショニスト、ドラマーとしてLIVEを中心に全国で活動中。

長崎真吾_1978年横浜出身。雑食。自身のバンドで歌い手としてフロントに立っていたこともあり、歌心溢れるギタリスト、コンポーザー。Spinna B-ILLのパーマネントバンドや、伊原anikki広志とのギターDUO "venue" の他、独自の世界観のあるシンガー、ミュージシャンと数多く演奏を重ねる。2013/7/30 オリジナルインストアルバム"Sun Goes Sun Down"をリリースし、

ソロアーティストとしても活動中。共演アーティスト(敬称略/順不同)Spinna B-ILL / eli(ex.LoveTambourines) / keyco / Likkle Mai / CHAN-MIKA / Rickie-G / COMA-CHI / 大石昌良 / HanaH / キムウリョン(ex.cutman-booche) / 竹本健一 小林亮三(ex.cune ) /星子健太郎 玉手ゆういち 保刈あかね 小久保淳平 /川島敬治 平方元 / hinaco / 千尋 / KOHDAI (BRIDGE STYLE) / 青谷明日香 / etc…

CHAN-MIKA_横浜出身。RBHIPHOPに衝撃を受け、レコードを使いClubで歌いはじめる。ファンク・ソウル・ジャズ・レゲエの生音に魅了されバンドヴォーカルとして活動していく中、NYJAMAICAAUSTRALIA等海外でのセッションを重ね、2011年 OASIS BOB MARLEY SONGS DAYにおいて最優秀賞を獲得し話題になる。EL SKUNK DI YAWDIEKATUSIが中心となって制作されたアルバム『Rhythm Messenger』で「マチマチ」を制作、2012HOME GROWN「サン・トワ・マミー」、NG HEADSEESAW GAME」にフィーチャリングで参加。また、HIPHOPシーンでコアな人気を誇る鎮座DOPENESS率いる鎮座DOPENESSDOPINGBANDMC・コーラスとしてジャンルの枠に捕らわれない活動を精力的に行っている。ファンシーなハスキーヴォイスファンキーなライブパフォーマンスで正式音源リリース前にも関わらず「One Love Jamaica Festival」「Green GreenMusic Festival」「Ocean Peoples」「WINDBLOW」「りんご音楽祭」など野外フェスへ出演。20128月に待望の1stアルバム「SIDE 2 SIDE」をリリースし、iTunes Reggae部門ではBEST NEW ARTISTに選出され、現在最も注目を浴びている女性シンガーとして、今後の活動が期待されている。2ndフルアルバムを1312月にリリース

3.OBRIGARRD(HAZU main pass)(名古屋)_Twigy、故TOKONA-Xらとともに名古屋のシーンを形成してきたヴェテラン・プロデューサー/DJHAZU(BEATKICKS)、そして変幻自在のNU WORLDメーカーとして注目されるYANOMIからなる音楽旅行ユニット。ヒップホップをベースとしながらも、世界各地の辺境音楽や民族音楽を取り入れた独自の音楽性をアピール。CDJ1000、サンプラーなどの機材を操りながら、唯一無二の世界観を生み出している。

4.La Cumbia Del Sol(台北)_コロンビア出身台湾台北在住Fao Torres率いるクンビアバンド。2012年に結成し、メンバーチェンジを経て、現在のバンド名とメンバーに至る。伝統的なクンビアそのままというよりは、レゲエや、バルカンといった色々なクールなスタイルが混ざり合いバンドのグルーブの根幹を成している。台湾の若者を日夜躍らせ楽しませている多国籍バンドである。

We are a band based in Taipei (Taiwan).We started in 2012 as "La Cumbia Balkanska", but after a year the band broken up, and thus the formation of "The Cumbia From The Sun".Cumbia is part of the traditional music from Colombia, now very famous in Europe and America (Even Japan!). So we are bringing this new hot grooves to this part of Asia. But we don't play Cumbia in the traditional way. We mix it with Reggae, Balkan and many other styles. Each member of the band bring its own flavor to the band sound.We want to make you dance and smile!

www.facebook.com/lacumbiadelsol

Fao (Colombia): Percussions

Carol (Guatemala): Bass

Andy Francis (USA): Trombone

Alicia 林亞  (Taiwan): Shakers

Emmanuel Brotte (France): Clarinet

Steven Wang (Taiwan): Guitar

5.LITTLE MASTA(那覇/川崎)_BE-BOPなスカバンドBLUE BEAT PLAYERSの鍵盤奏者の傍ら(20112度目の脱退)ソロ活動に勤しむ(3枚のアルバム発表他)2002年アルゼンチンクンビアの盟主FIDEL NADAL(元マノネグラ)の来日ツアーに鍵盤サポートとして参加し、洗礼をあびる。FUJI ROCK他、各地で熱演し、以降自身のバンドMAXIMUM VIBRATIONにてクンビアレパートリーを増やし、MATE POWERVERY BE CAREFULといったドイツ、LAの現在進行形クンビアバンドとイベント共演している。THE ZOOT16の作品・ライブにも参加実績あり。スカ仕事も多く故Laurel AitkenBAD MANNERS来日ツアーの鍵盤サポートをしたりもしている。201110月より活動拠点を那覇/川崎のダブルホームとし、現在、那覇では、Dr.ヒロト(地獄車)Gt.(MONGOL800)B.ドン久保田(Tropicalism)といったメンバーと、内地では、ダブワナミッドナイトシステムのリズム隊にパーカッションそらを加えたメンバーでライブ活動中。最新アルバムはソロ3枚目となる「Save Children from Nuclear Pollution(放射能汚染から子供達を守れっ)

6.iYABASTARDS!(コザ)_クンビア、レゲエ、ダブ?民謡にハードコアパンク?名残りはあるけど、なにか違う、ズブの素人たちがよく分かりもしないまま、伝統音楽と現在進行形音楽をゴチャゴチャに掻き混ぜてしまった!沖縄はコザより2011年末、突然変異的に誕生した複雑骨折大所帯バンド、ヤ・バスターズ。20137月、1stアルバム「反骨民謡騒乱」をリリース。

7.THE ZOOT16(東京)_80年代後半、原宿ラフォーレにてアパレルショップ・セルロイドを運営し、同じく原宿で働いていた、BIKKE、川辺ヒロシと出会い、90年代に入り、TOKYO No.1 SOUL SETとして活動を開始。2002年から、自身の音楽的好奇心や冒険心を試みる場としてのソロユニット・THE ZOOT16としても並行して活動をスタートさせている!!その後の大活躍は周知の事実。フジロック出演経験者は多数あれど、紅白歌合戦出演経験者はこのシーンでは稀有の存在。

8.Rojo Regalo(大阪)_2006年 ''PICO'' NAKAJIMA (a.k.acopa salvo) が中心となり結成。関西を中心に全国各地の音楽フェスティバルからストリートまで、定期的に海外ツアーに挑む日本屈指のクンビアバンド。昭和歌謡の哀愁や熱さ、それらとクンビアを中心にしたアフロ、キュー バン、ラテンミュージックにパンクやレゲエの持つレヴェルなメッセージをのせた真の愛の力と社会的メッセージを歌う「大阪南米フューチャー・ミクスチャー・ダンス アンド レベル・ミュージック」を発信中。

9.EKD(東京)_"未来世紀メキシコの一員としての活動の中で、ラテン文化圏の現在進行形レベル音楽に触れる事で強いパチャンガ・メッセージと出会う。2007年、"究極の初期衝動"と呼ばれたオリジナル1st アルバム『Para Todos Todo』をリリース。ギター、ベース、ドラム、サンプラー等、すべての楽器を一人で演奏し、カセットMTRでの多重録音によって生まれた奇異で鮮烈な1枚となる。同時にライブ活動を開始。 中南米で見られる様な土着的音楽スタイルを軸に、ギターと歌(EKDDIK)とボタン(SAUDI)をオリジナルスタイルとして、ドラムス(ピーチ岩崎from COPA SALVO)やパーカッション(ゴージャス尾原 from ボンクラ峠)を加えた編成で活動中。CARIBBEAN DANDYを通じてJAPONICUSの主催するイベントや数々のフェスティバルに出演。2009年夏に2ndアルバム『FANTASMA』、2011年秋に3rdアルバム『BON VOYAGE!』、2012年夏には4thアルバム『ぐるぐる』をリリースしている。

10.SKYLARKING(名古屋_2002年結成。カリブ音楽を軸に幅広い活動を続ける総合エンターテイメント集団。ラテン色の強いスカ、ロックステディを得意とするトロピカルなバンドサウンドと、カリブの匂い漂う陽気なライブパフォーマンスでジャンルを超えた幅広い層から支持を得ている。2009年から新メンバーを加え音楽活動以外にも様々なプロジェクトを企画運営している。これまでに自主レーベル「Cariblood」より7inch、ライブCDを発表している。

11.民謡クルセイダーズ(東京)_元々ジャズ、ソウル歌手を目指して東京に上京したフレディは、偶々入った蕎麦屋のテレビで流れていた民謡番組の歌声に衝撃的な啓示を受ける。店のオヤジに話した所すぐ裏に民謡歌手が住んでいるとの事でそこを訪ね、そのまま弟子入り。以降、東京福生/西多摩エリアでブイブイいわす民謡歌手に成長。同じ頃、福生でラテンやカリビアン、ブラックミュージックをやっていたカツミ(ベース)ソノオ(ドラム/ティンバレス)らと出会いバンド結成へ。現在はHULLY GULLY ENSEMBLEのダディU(ルンバボックス)/ソラ(コンガ)、WILD THINKのセキヤ(セカンドティンバレス、ギターetc/フーミン(トロンボーン)、イチロウ(サックス)、アジ(アコーディオン)、FC Space Piratesのユーコー(シンセサイザー)が加入。スペイシーなズンドコビートに乗っかって、オレたちの民謡を鳴らすべく、田んぼの真ん中でミラーボールをグルグル回してILL

12.DUB BASTARDS(東京)_2008年、西原宿にある酒場フランケンの花嫁で結成。翌年2009年よりライブ活動を開始する。メンバーのROOTSであるPUNKREGGAEDUBBALKANAFRO MUSICを軸にPATCHANKA、メスティソ、ROCK LATINOGYPSY、中南米などなど様々な音楽を取り入れDUB BASTARDS色に染め続けている。近年ではJAPONICUS主催のアジア最大ROCK LATINOイベント『FIGHT FOR RIGHTS』や『RADICAL MUSIC NETWORK』、大貫憲章主催の『GROOVY ROCK CARAVAN』やCARIBBEAN DANDY主催の『STEPPA!』にも度々出演し、2013年のJAMAICA FESTIVALONE LOVE』や『龍岩祭』にも出演。20136月に1st ALBUMPUNK LATINOGYPSY REGGAE』を発売。


★ダイダラボッチと髑髏

新月の元旦を迎えた西暦2014年も半月を経た。円々と満ちたお月さんが、日に日に翳りを増してゆく今日この頃。丁度どんと焼きの時期に満月だったのが印象深い。武蔵野の空は連日穏やかな冬日和である。彼岸花の莟がうなだれている。白いコウベを垂れたその姿が髑髏を思わせる。早緑月とも呼ばれるこの季節。緩やかな北風が凪ぐ。

(春の気配かな...?)

僕は今年から小平へと住処を移した。井の頭から西北西へ約5里。緑が多く、空が広く、人が少なく、夜中は地元のヤンキーたちが徘徊する田舎街である。好い飲み屋も在る。江戸城築城のための資材を運搬する目的で開通したという云われを持つ青梅街道が街を横断する。武蔵野台地の中でも水利に乏しく起伏の少ないこの地域は、永らく田園を持たない広大な荒野であったという。田無市と接している事からも察せられる事情である。氏神は熊野宮。近くには江戸時代の人気者、製鉄民の神、氷川さんの小さな社も鎮座する。旧石器時代の人類の痕跡も残っている。おそらくマンモスが生息していたのだろう。平(タイラ)という地名は、古代から受け継がれる製鉄共同体、タタラから変形しているケースが多い。代田(ダイタ)や太良(タラ)も同様である。理由は彼等の信仰するダイダラボッチに由来する。鉄を作る行程で炉を覗く必要のあった彼等は、片目を失明する可能性が高かった。更に片足だけでタタラを踏む為に、足を不具にする人も多かったという。故に、ひとつ目、一本足のダイダラボッチを祭って厄を除けるのである。中国地方のひとつ目小僧や、四国のひょっとこ(火男)も、ダイダラボッチと同類の竃神である。そんなタタラとしての名残が地名として全国に残っている。日本人の製鉄は、鉱石から純度を高くして精製するヒッタイト系の鉄と違って、砂鉄を採取して精錬するタタラをルーツに持っている。タタラで作られる鉄は鋼である。日本刀が世界で最も切れ味のよい刃物だったのは、その技術を汲んでいるが故である。神話ではヒヒイロカネという金属が登場するが、この石器時代の流れを汲む石の文化は、途方も無い高度な域に達した技術体系である。巨石も然り、現代の建築技術者さえ沈黙する程の技術を、何故に古代の人が持ち得たのか。ただひた隠しにされたままである。何故なら今の文明は石を燃やす事に躍起になっているからである。その醜態はアボリジニーの警鐘を無視して、プルートにまで手をつける始末である。

(知恵が蹂躙される時代か...)

金の為にそれらは正当化され、遂行された。百年後に公害で苦しみ、その50年後に放射線に汚染された。いつも苦しむのは民衆である。しかし立ち上がるのも民衆である。嘗て陸奥が飢饉に曝された時代。人々は腐肉までも食して命を繋げなければならなかった。我々の祖先が避けられなかった餓えという悲劇。おそらく皆の遺伝子が持つであろう暗黒の時代。先人達の苦労は、我々には往々にして計り知れないところがある。しかしいつしか立ち直り、墓に蓋をした。その記念すべき現象を人々は祀り、祈りを連鎖させた。

(人という字が、合掌のかたちに似ている理由だろうか?)

在る意味、人は祈る生き物だと言える。農民、猟師、漁師、芸人、公家、役人、商人...。古来からあらゆる階級や、無数の生業が人にはあるが、祈らなかった人々は皆無であろう。古から現代まで欠かす事の無かった人間の営みは、今の日本人の生活にも息づいている。

(2014年...)

音を次元とする芸の道を生きるいち人間として、いち小平市民として、未知なる運命が待ち受けているであろう2014年。力の限り自分の芸に取り組んでいきたい所存である。澄んだ小平の空を北風が洗う。まもなく寒さも明け、春に入るだろう。


★秋空

 最近、メンバーからの助言で気付かされた事がある。

(おれは民謡にハマっているらしい...)

余り自覚が無かった事だけに、はたと驚かされた瞬間ではあったが、思い当たる節は多分にある。この2.3年というもの、部屋で針を落とすレコードと言えば、"マルフク"だったり、"マルタカ"だったりの琉球民謡が主だったりするし、唄三線に魅了されていると言えば言える気もする。日夜時代小説を貪ってもいるし、そもそも古いものが好きな、爺臭い性格の持ち主ではある。

(ここまでくると確信的だが...)

懐古主義ではないと自負している。真相は分からないが、言ってみれば、

(阿呆ではあるまいか...)

なのだ。正に阿呆であると思う。例えば僕は、日本に於いての中世の人達が無性に好きであったりする。赤裸々なほどに心露に生き抜く彼等は、純粋に生命を剥き出しにして命を燃やしていたらしい。そこに惹かれるのだ。現在にも武者の様な人は居るには居る。故に事実、そういう人が好きだったりもするし、そう在りたいと思ったりもする。

(然もあろう...)

というヤツである。誰だって幼年の頃に、"秘密基地"なるモノを拵えた記憶があるとは思うが、常々将軍はやはり自分であっただろう。チャンバラもやったし、釣りや、探険と称する冒険を日々繰り返していた。命を燃やし、心を燃やし、人生という日常を生き抜いていたものだ...。

(あれらはきっと前世の原始の記憶だな...)

とか今になって嘯きながら回想する訳だが。例えば、

「中世と現代の違いはなにか?」

と問われれば先ず。

(何をするにしても命を掛けているか否か!?)

と答える。半端な事は出来ない。中世や古代に於いては、冒険心そのままに成人して、サバイバルを極めたる者共が往々にして居たに相違ない筈である。何故なら義務教育なる法が無いのだから。銃刀法も無いのだ。だからアナーキズムだった。それらの環境で育った人々は、ときに武者にもなっただろうし、ときに忍者になったかも知れない。ひょっとすると鬼や仙人だったかも知れない。現代の人々の命は法に依って守られたに過ぎない。嘗ては法が無い分、義で事が足りた。其れが人の不思議と言うやつでもある。

(誰だってやっていい事と駄目な事は分かっているのだな,,,)

法治国家はどうやら義理や人情を酷薄にするらしい。

(金だからな...)

と、秋の浮世の夜長に感傷の吐息が漏れる。

(命を燃やして技を極めた時代...)

と言ってしまっては陳腐に聞こえてしまうが、少なくとも現代よりは、恐らく民族として燃えていた時代が中世であった。戦国時代の武将にしても、江戸時代に至っても同様であっただろう。織田信長だろうが、豊太閤であれ、大御所であれ、民衆にとっては"生き易さ"こそが重要視された筈だ。だからこそ"三河者"でもある徳川が、民衆の支持を270年も持ち得たのが解せるという訳だ。余談になるが、神になった武将が二人居る。豊臣秀吉と徳川家康である。豊臣大明神と東照大権現がそれである。前者は宮廷から与えられた称号に近いが、後者の家康は、民衆の支持そのものから去来する信仰に似ている気がする。でなければ270年にも及ぶ江戸時代は実現しなかった筈である。むろんその功罪は判じ難い。文化文政時代と呼ばれる、鎖国がもたらした民族的性質の矮小化は、大航海時代から門を閉ざし、世界の普遍への理解に乏しい民族性を作らしめたとも言える。しかしながら、長い戦国時代に終止符をつけた、初代徳阿弥から繋がる三河土族の出身である家康が築き上げた江戸文化は、中世の最も華やかな時代であったとも思われる。

(光と闇...いつの世も存在するのが常だと言うのか?)

そもそも今から150年くらい過去の話だが、変われば変わるものでもある。

(なにが変わったのか?)

を考えるべきだが、如何せん現代の法やモラルは人間をガチガチに固めよる。其れによって内心だけが騒がしいのが本音である。精神のネットワーク性が欠かれ、個が量産される社会。

(あんな法が通っちまうくらいだからな...)

と憂鬱な長溜息が漏れる。

(それがいけない...)

とは思いつつ、どうやら奴等は"真実を打ち明ける"という、国民への義務をさえ放棄せんとしているらしい。

(阿呆では済まない話だが...)

窓を開けると、秋晴れの夜空に浮かぶ月輪が、もの悲しい光を表通りに落としている。涼し気な薫りを乗せた秋風が、狭い六畳一間の部屋へとそよぎ吹く。

(放射線が混ざる風...)

それを全身に浴びながら、酔いどれの体を寝所に横たえる。

(なんという時代か...)

焦立ってはみるが、身共は所詮一介の唄うたいである。故の乱筆乱文はどうかお許し給えるものかと存じて、此の日の記はここで筆を擱くことにしよう。そろそろ眠りをむさぼりたい所存である。今宵は八重山の民謡を聴きながら。

(おやすみなさい...)


★越後はぐれ旅

 六畳一間の暗がりで、米油の蝋燭が焔を揺らしている。

(越...)

撓わに実っていた稲穂は刈り取られ、田園に静寂が流れているこの季節。僕は越の地へ出掛けた。

(越後はぐれ旅...一人越後のどさ回り...)

どちらにしても上手くはない。広大な盆地の碧空には、長い雲が白い筋を引いている。

(今年はどうだったのだろうか?豊年だったのかな...?)

数週間前に新潟を訪れた際には、コウベを垂れていた稲穂の姿を見ていただけに、期待もするが...。

(稲刈りの時期に雨が多かったとは聞いた...)

越後は高田。南方に妙高の峰々を望み、北方の直江津に日本海を面している。古い街並を保存する美しいところである。冬は滅法雪深い。春日城は天下に聞こえる上杉謙信の根城。その城下町である高田は、”雁木”と呼ばれる古い街並をこの平成の世に残している。ここに嘗て、昭和まで"瞽女(ごぜ)さん"という、盲目の唄歌いの女性たちに依る、農村地帯を取り巻く音楽文化が存在した。"高田瞽女"と云う。年間300日に及ぶ唄行脚をこなす盲目の女性たち。"親方"を中心に受け継がれる共同体の古風な暮らし。だが、昭和43年を最後に唄行脚が途絶え、平成に入って血筋が絶えた。現在は保存、紹介、伝承等に力を注ぐ素晴らしい方々が支えている。思うに日本の文化が産んだ民衆音楽の遺産である。そんな"瞽女さん"であった杉本キクイさんを伝える映画、シンポジウム、ライブを体験する事が出来た。

(むぅぅ...)

"瞽女さん"の唄、演奏は素晴らしいものだった。それらは暮らしの中で受け継がれていたし、"与える"と"得る"だけではない文化で成っている。ビジネスを越えた交流。ぐるぐる廻りに廻っている、循環の輪で成り立つ関係。"瞽女さん"を尊ぶ人々が居て、暮らしが在り、信仰までが有る。又、"瞽女さん"もその循環を大切に暮らしを育んでいる。昭和末期に途絶えて平成に入って消えた、鎌倉時代から受け継がれた"瞽女さん"という存在を思うとき。

(何故...?)

と考えざるを得ない。と言うのも、様々な文化や伝承に於いて、"昭和"から"平成"に架けて、多いに失われたと思われる節があるからである。

(見事に平らにのっぺりと成ってはいまいか,,,?)

と思われる要素が多分にある。それが何を意味するかは現状が語っているのではないだろうか。この国では、"平"という字が入る年号は、かつてから凶事が多かったため避けられたという。

(消えた祭がいくつあるだろう?消えた地名が、音楽が、料理が、建築技術が...暮らしが...)

言い出したら切りがないというヤツである。土地の名前にしても、"瞽女さん"にしても、食文化にしても、建物にしても...。

(この25年間で消えてしまったものは多大ではあるまいか?)

そして...。

(新しい"決まり"はオレ達を更にのっぺりさせようとしてはいまいか?)

と考えるのは大袈裟なのだろうか?大都会で暮らす孤独な旅烏の"考え過ぎ"というやつだろうか?

(だったら幸いなのだが...)

高田の夜はバー"JAZZ SWING"にて宴を催してくれた。

(有り難き幸せ,,,)

ゆるりと流れる時間につられて飲みに飲んだし、唄いに唄った。

(楽しい素敵な夜でした!)

翌日は"VENTE"一行と新潟は内野へとひとっ走り。いつもお世話になっている"BB STONES"の地元での祭へ呼んでくれた。その名も"内野 DE 宇宙まつり"!

(サイコーでした!)

地球は宇宙に浮かんでいる。誰もが知る神秘な事実。

「いつまでも平和であってほしいな〜」

と呟いたしんちゃんの横顔が目に浮かぶ。

(身共は現代を渡り歩く、"瞽女さん"の様な存在でありたい...)

と思う。今のところ大丈夫かな?

(なんとかやってる...)

みんなのおかげで。

(ありがとう!)


★蛇の血

 (大和の郷、飛鳥...)

ずっと以前...と言ってしまっては余りに漠然とし過ぎているから、八百万の神々が生きていた時代、と言えば何となくだが想像がつくかも知れない。

(行ってみたいものだ...)

現在は山間の小盆地である飛鳥村が、古代には湖に浮かぶ都市であった、と唱えたのは巨石文化研究家の渡辺豊和氏である。湖面にはピラミッドが浮かんでいた。秋分と春分の太陽が、山頂にピラミッドを有する三輪山に昇り、忌部山に沈む。人々はそれらによって暦を知り、収穫や狩りなどの生活の営みの時期を知る。男根のシンボルから昇った太陽が、女陰のシンボルへと没してゆく。古代の日本人は完全に地球と共に生活している。と言うより、生命として生きている。飛鳥村に在ったとされる古代の都市、名を"磯城"と書いて"シキ"と呼ぶ。王に長髄彦命(ナガスネヒコノミコト)を担ぐ、古代日本の先住民族である。先述したピラミッドは現在も古墳や神社として存在している。しかし建築家でもある氏は、それらが「壊されている」と語る。

(成る程...)

大和三山は、天香久山、畝傍山、耳成山である。それらからピタゴラスの定理に基づいて導かれる場所に、三輪山が在る。"磯城"という"クニ"は途方もない技術者を有していた。ピラミッドから線を引き、磁場を捉え、交信し、地図を作った。まさしく太陽と地球を最大限に生かした巨大なカレンダーである。アジアの東方に連なる日本列島は、多量の降雨をもたらす緑豊かな島々である。即ち土壌が肥えていて、植物がよく育つ。故に長い年月を経てピラミッドは、鬱蒼と木々を茂らす山々へと変わり果てる。古代日本のピラミッドは壊されて瓦礫と化し、雨によって緑化した。一万年以上も続いたとされる縄文時代。悠久の時が育んだ文化の結晶として、縄文末期は栄えた筈である。"磯城"は然も優美な水上都市であった。水辺には葦がよく育ったことであろう。そう考えると、日本神話に登場する"豊葦原中国"(トヨアシハラノナカツクニ)の風景と、正しく合点する場所でもある。

(蛇、亀甲、男根、大黒天...大国主命)

全てナガスネヒコの俗称である。ついでに"八股大蛇"にも多分に長髄彦命の資質である"山"が現されている。八百万の神々。古代日本に繁栄を極めた諸民族は、ある一民族の来訪によって様変わりする。天孫族が日本列島に辿り着いたのは紀元前夜であったとされる。アマテラスを奉ずる彼等の渡来。それは日本列島の民族にとって、弥生時代の到来に繋がる。初代天皇、即ち神武、後の名を伊波礼彦尊(イワレヒコノミコト)を担ぐ彼等によって、"磯城"は攻め落とされ、出雲へと封印された。最も封じたかった縄文の神は、今日でも日本一太い注連縄によって閉じ込められている。国を追われたナガスネヒコは、辛くも難を逃れ東北へと亡命し、そこでアラハバキを信仰する青森の"アソベ族"等と混血の末、"日高見国"と称する陸奥の勢力として中世まで存在する。つまり陸奥の豪族、"阿部氏"がそれである。その末裔の"秋田氏"が記した『津軽外三郡誌』という史書が詳しく伝えている。"磯城"の美しい湖は埋められて田園と化し、ピラミッドは破壊された後、古墳などの墓に作り変えられた。そして万世一系の天孫族の初代帝王が誕生する。名をイワレヒコノミコト。"ヒコ"とは"日子"で古代の男子の呼び名である。"イワレ"とは破壊を意味する。その名に恥じぬ暴君は顔面に刺青を施した男であったという。

(...そもそも)

往々にして言える事だが、古代の人々は身体に墨を入れていたと思う。現代に於いても先住民族の文化には、洋の東西を問わず刺青の習俗がある。トライバルと呼ばれるタトゥーである。特にかつての我々は子供から大人まで、顔や体に文身を彫っていたと言われている。当時の土器や土偶に見られるあの縄文である。蛇であり、大国主であり、ナガスネヒコである。中国三国志の正史書『魏志倭人伝』にも、倭人は皆文身を施しているとある。”刺青”という名称は近世からの呼び名で、古くは"文身"という。関西での"入れぼくろ"であり、沖縄での"針突"である。

(そんな先祖を持つ日本人にも拘らず...)

この国には差別が横行しているらしい。さも当たり前の事柄の様に。メディアが煽る事で強引に納得させている。いつの世も権力の神経とは粗雑なものである。ヤクザ屋さんの刺青にしても、元来、江戸時代の"火消し"の文化からきている。江戸八百八丁の自警団、同心与力や火付盗賊改役など、危険な火事場などに赴く彼等は、どんな無惨な亡骸に変わり果てても、身元が判明するようにと身体に文様を刻んだ。心配りがあるお洒落である。それが"粋"なのだ。そうして華々しく技術として極められたものが和彫りである。

(いい文化だ...)

遠く南半球からやって来てくれた彼女はどう感じただろうか?

(悲しい思いをしたに違いない...)

特徴的な文身をもつアイヌ文化との交流。遥か南洋からやって来た兄妹が受けた差別。思えば我らの恥ずべき行いではないか。自分たちの祖先の文化を否定する事にも繋がる。初代天皇でさえ顔に刺青を入れていたくらいである。

(ぼくらはそんな民族の末裔だ)

縄文時代。八百万の神々の時代。天の神だけではなく地母神が生きていた時代である。大国主、大物主、男根の生神、ナガスネヒコがいた時代。彼等は自然を広大な田園に作り変えることを憚った。アイヌには"自然"という意味にあたる言葉がないという。それが当たり前というか、人もその一部分であり一要因である事を知っているが故である。季節に実る果物、雑穀、受け継がれる知恵から得られる薬草や魚、獣、その他野生の野菜や穀物類、あらゆるものが与えられていた。人は実りをいただく代わりに祭りを行った。そう考えるとアニミズムが全世界的に存在する事にも納得である。神が万物に宿っているということを、古代の我々は知っていたのだ。最近、量子力学の分野で、素粒子か何かにも魂が存在するというような論文が認められたという。

(......)

どうやら我々の祖先は少なくとも5000年前にはそれらに気づいていたと思われる。

(草木、ケモノと口がきけた時代...)

と神話の中では記述がある。変われば変わるものである。

(今や...原子力発電所...?)

オレ達の身体の中で騒いでるのは、彼等の血かも知れない。


★盆仕草

 新幹線の車窓の中を景色が高速でながれてゆく。人も木々も川も鳥も、鳴りをひそめてあらゆる営みを停止させているが如く、移りゆく景色には一辺倒の無機質さが孕まれている。今、自分がどれほどの猛スピードで動いているのかを、その表情を失った日本の風景が教えてくれる。広島駅に降立ち、船に乗るために港へと向かう。68年前に原子力爆弾を落とされた町を、路面電車が縫う様に走る。

(明日は敗戦記念日だな...)

西に傾いた陽が赤く染める宇品港をゆっくりと出航する船がある。呉を経由して目指す港は伊予の国、高浜港である。かつて苦しみながら焼かれて亡くなっていった人達を思い、離れてゆく陸に向かって手を合わせる。眼前には穏やかに波立つ瀬戸の海が銀色に輝いている。行き交う船は滑る様に水面を走り、海鳥は雁行型に空を渡る。おにぎり型の小さな島々の影が、斜陽に照らされてくっきりとその姿を浮かび上がらせている。身共は甲板に昇って暫く潮風に吹かれてそれを眺めていた。

(ん...?)

ふと、フェリーがたてる白波の上へ視線を落とすと、ペットボトルが踊っている。一瞬目頭が曇る。人間の...というよりも己の生活が依存するこの文明に思い馳せる時、問題は山積みでならない。自動販売機から出てきたペットボトルがやがて瀬戸の海に浮かぶ。何気なく手にするあらゆるものが再生不可能な現代社会の営み。

(すべて繋がっている...)

と実感しながら生活したい。空と海とが紅に染まって混ざってゆく。太陽と地球とが織り成す夕暮れが沈黙したかと思うと、東の空高く鞠の様な月が輝いていた。程なくして船は伊予の地へ静かに着岸した。


盆の空はすこぶる青く、瀬戸内独特の小さな入道雲が低くぽつりぽつりと浮かんでいる。木々は青々と燃えんばかりに繁っている。手にした柄杓から溢れる水が祖母の墓石を濡らし、香から立ち昇る糸の様な煙が風に揺れ、辺りがほのかに薫る。

(この人がいなければ、身共が産まれてくる事もなかった...)

すべてが繋がっていると考えたい。寺の裏山からは、蝉しぐれがこだましていた。


祭の準備は日々慌ただしさを増していた。三津浜の港に祭を現出させるためである。"ケパソ"と銘打たれたその集いを始めたのは6年前に遡る。今年は4回目にあたる。首謀者であるドックは中学時代からの同輩である。共に四半世紀を音楽革命に捧げてきた同志と言えなくもないが大袈裟ではある。兎角アナーキーでピースな奴である。そこに賛同されたし、みっちゃんや、アルイや、まっちゃや、なぎや、カツオたちと会場作りが始まった。お天道が煌煌と燃える最中、草むしりから設営、電球を吊るしたり、テントを立てたり、リハーサルをやったり、サザエさんが持ってきてくれた水瓜の差入を頂きつつ、たくさんの人々が作り上げた空間が、築100年の木造蔵を取り巻く様に出来上がった。潮風がほんのり涼しさを運んでくれる。あとは祭が始まるのを待つだけである。


照りつける日差しによって気温は鰻登りの日中。しかし案外に蔵の中は涼しい。扇風機を回して、氷を入れた桶を風の前に置く。幾らか涼しい風を送るためである。2階建ての蔵の1階がダンスフロアになっている。ライブは地元の唄三線グループ"シマウタ電化サービス"を皮切りに、松山が誇るスカバンド"スカッターブレインズ"や、大阪からはアニキ"ロホレガロ"がはるばるやってきてくれた。我らが"問組"も初ライブで参戦。DJ陣もナイスな輩達が集まってくれて大盛況であった。出店もあって、どこか懐かしさが漂う盆踊りであった。資材を貸してくれた地元の協力者達にも、一緒に創り上げてくれた仲間達にも、皆様に心から感謝の気持ちで一杯である。貴重な蔵を使わせて頂けた事にも、深い感慨を覚えた一日であった。


祭の後は決まって静かな時間が流れるものである。翌日は後片付けを終えた後、道後温泉別館"椿の湯"でゆるりと身体を癒し、一人、また一人と伊予の地を離れ、東京、京都などへ帰ってゆく。

(またいつか三津浜の居酒屋で酒を...)

と、そう心で呟いたのは身共だけではなかったかも知れない。


港町の空はどこまでも深い青を映している。三津浜という地を訪ねてみると、古くは"ニギタツ"という地名に行き着く。皇族の祖先が大和まで昇る際に立ち寄ったとされる云われがあるが、何があったかは定かではない。身共の研究の一つでもある。つまり古の大国主命や聖徳太子の逸話も残るような滅法古い道後の湯に、人々が集まらなかった訳はないと思われる。その海の玄関口として三津浜は古代から必ず栄えたであろう。賑やかだったに違いない。近所に巨石を積み上げたカレンダーがあるのも頷ける話である。もちろん海賊達が治めていた地域であろうし、太閤の扶持を受けるまでは、平氏のながれを汲んだ反体制であったはずである。因に道後を治めていた湯築城は15世紀に秀吉の軍に滅ぼされている。海を生活の糧の場として選んだ人々は、現代社会を渡るために漁業や港、造船などを生業としたはずである。何故、戦艦大和が呉で造船されたかは言うを待たないだろう。この島国の交通は古代から陸路より海路が中心であったために港町では混血も進んだ。そんな三津浜の氏神はやはり"厳島神社"である。白い砂地の境内には、立派な赤松の老樹が昇り龍の如く聳えている。

(たしか神社に奉納された古い絵馬にも蜷局を巻く双龍が描かれていた..)

秋には喧嘩神輿で賑わう境内の松の木陰に腰を下ろしていると、鳩の群れが羽ばたいてきて、身共の辺りを埋めはじめた。その数100羽は超えている。

(たれかが餌付けしているらしい)

生憎なにも持ち合わせていなかったので暫く眺めていたが、やがて鳩も見切りをつけて1羽、2羽と徐々に方々の日陰へ去ってゆく。程なく身共もその場を発った。


松山空港を飛行機が離陸したのは酒場の日の朝であった。眼下には瀬戸の島々が青い海に点在している模様が見渡せる。やがて小さくなったかと思うと、雲をかすめて東へ進路を取った飛行機は関東を目指して飛行した。成田空港に降り立つと空は霞がかっていた。そもそも生活する人間が多い以上、排出するガス等の量も増えるのは当然と言えば当然かも知れない。今、我々の用いる文明が地球の手綱を握っていると言えよう。瀬戸内海に浮かぶペットボトルと、関東の空模様は同じ警鐘であるかのように感じられる。バスに揺られて武蔵野に着くと、井の頭の公園にはつくつく法師が鳴き込めていた。盆が過ぎればもう秋は其処までやってきていた。