★潮

人の世は大いなる潮(うしお)である。

人のみならず、物も知識も思想も体制すらも浮かべたその潮は、全体としていずこへか汪洋とながれてゆきつつあるのだろうが、潮はあまりに大きく、人はあまりに小さくて、わずかにあげた眼からは周囲の大波小波しかわからない。しかもその潮が、逆流あり、急流あり、支流あり、ときに渦巻あり、淀みありと来てはなおさらのことである。

さらに、このすべての物は、おたがいにからまり合うのだ。抱き合う者あり、手を結ぶ者あり、足にぶら下がる者あり、はては敵意をもって襲いかかってくる者あり。

この潮は、地上の水の流れとは異なって、魔界の果てへ上りつつ流れる。だから、あとになれば、過ぎてきた流れを俯瞰して、それを悔いることは出来る。笑うことも出来る。しかし、悔い、笑いつつも、その時点において彼は、やはり混沌の渦の中を流されてゆきつつあるのである。

悔いて何になろうか。人を笑う資格があろうか。

いわんや、この人間の潮の中には、なんの条理もない危険物とのぶつかり合いという現象があり得るにおいておやだ。

以上、山田風太郎「修羅維新牢」より。

代々木公園に撒かれる薬物が犯す野生。一日に車がひき殺す野良猫の数。水によって循環するあらゆる毒物。痛覚を鈍らせた人々の思想。それによる殺戮。政治家を語るマフィアの所業。善人面した詐欺師の講釈が強要させる勘定。動物園の動物。溶ける氷。水銀を飲み込み続けるイルカやマグロたち。それを食べる人間。見えない国境。珊瑚の命より大事な国。選択肢の放棄。消える地名。消された過去。誘導される未来。人間の為の文明が蹂躙する世界。

(それでも尚...)

循環をとめないこの地球に生かされている命。

(そしてまた...)

よせてはかえす人々の潮。


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