★石日記 ~福島編~


「石づいている!」

と言えば言えるのだけど、こんな途方もない遺物が他にあるだろうか?

(困った人だ...)

おそらく一万年は下るであろう石のオブジェたちが、日本列島至る所に散在している。先史時代の日本列島先住民はヤバい。ホニャラランドには行く必要もない。

(彼等は消されたのだ)

一見。だけど生きている。しかも色濃く。

(たぶん、大多数の現代人がこれらを見ても、不思議に感じるかどうか...?)

甚だ疑問ではある。

「ただのでっかい石じゃん」

とキミは言うかも知れないし、それも事実ではある。

(だけど考えてもみなよ)

タダモノではないのだ。現代の一級建築士でさえ泡吹く様な技術、または科学?若しくは未知の術??を、我々の祖先は有していた事になる。

(この世はいつも想像以上に奥深い)

たぶん一万年という歳月はあらゆる物を堆積させる。砂が風に舞って運ばれてきては溜まり、そこに草木が育っては朽ちる。それらがやがて土と化す。更に現在の日本の山々には、杉がとにかくたくさん植えられている。金になるからである。僕は今33歳だから身に覚えはないけれど、日本の山々が言い値で国に買い叩かれた時代があった。国有林がそれである事は言うを待たない。

(やがて...)

古代に生きた祖先の素晴らしい石のオブジェたちが、杉の山の中に隠されてゆく。僕は巨石に対峙するときにいつも感じることがある。

(よくぞ!)

のひと言である。先日、国道6号線が解放された福島県の浜通り。いろんな意見が在って当然である。いろんな立場や状況が在るのだから。だけど知るべきではあるし、出来る限り抑える術を考え、実行すべきではあると思う。何をするにせよ。

(覚悟を持って行動しているか否かが胆だな...)

ここいらで先日、福島県の山中で出会った巨石たちをいくつか紹介しよう。

先ずは福島市の渡利にある五輪石稲荷神社の巨石。因に"稲荷"(イナリ)は農耕化してから漢字が宛てられ、稲作の守護神として信仰されているが、古代イスラエルの言葉で"イナル"は、”太陽を見る”という意味を持つという。

明らかに人工的に積まれた巨大な石の前に稲荷の社が佇んでいる。その背後にはお天道が煌々と輝いている。恰も五輪の供養塔のような姿に見えなくもないが、平安時代に興ったとされる五輪の思想と関係があるのか否か。
(なにか人の姿を模している様にも...)
見えなくもない。

お次ぎは飯野町。きれいなピラミッド型の姿が美しい千貫森。UFOの里としても名高い。その裾野にひっそりと息づく長閑な集落が飯野町である。写真は留石公園の巨石。山の峰に点在する巨石からは、遠くの山々まで望む事が出来る。

カッパと天狗の夫婦岩。

山の峰を南南西に繋ぐ巨石。

どんどん山のガキ大将。

集落入り口に聳える巨大な一枚岩。田舎道を車で走らせていると、こんな光景が目に入ってくる。明らかに石の文明のあとに、稲の文明が根付いた証。

翌日は浜通りを北上。富岡町を抜け都路へと一路峠道を突っ走る。すると岩井沢のとある集落に巨石群が在る。"笠石"という陽石に、"博打石"という名の陰石。要石がゴロゴロする田んぼには黄金色の稲穂が揺れ、山の頂き付近に"亀石"なる周囲50m、推定重量2800t、高さ10m以上の巨石が鎮座している。その懐からは清水が湧き出て、今でも大量の砂金を漉しながら、麓に清らかな水を齎せている。

古代、巨石の文明を運んだ民は、以外にも山の民ではなく海洋民族であったと言う。彼等は海から川を上り、清らかな水を得られる石の装置を拵えた。中世には弁天や修験道などがそこに混ざったりもした。然し乍ら。

(いかにして?)

凡人の脳みそには想像にも及ばない。

(この列島、1万年でいろんな出来事があっただろうし...)

古代の巨石の聖域が、中世に天台宗と混ざった場所も在る。福島は本宮にある"岩角寺"がそれである。山の頂上付近に巨石が配置され、壮大な天文的な装置になっている。石には天台宗の僧の修行の一環としてか、菩薩、観音、天女などが刻まれているが、春分、秋分に見せる胎内潜りを始め、鏡石らしき巨石や、大きな舟石が鎮座している

天台宗徒もここで座禅を組んだらしい。

帰りの道すがら道路脇に突如現れた巨石。
(冥土と現世の通り道か...?)

その傍らには古社"吉祥寺"が巨石に寄り添っている。其処に1万年間変わらない姿で聳える"庚甲石"(チンコウ石)が在る。言わずもがな巨大な男根である。その南東に位置するのが次の写真の"大萬好石"(オオマンコウ石)。一見ただの丘としか思われないかも知れない。葛が生い茂って全貌は定かではないが、実物はかなりデカくて圧巻である。

中世を経ても”大黒さん”へと姿を変えて、今も親しまれているけど、性器信仰は潜在的に日本人には生きている。大黒さんの後ろ姿が口ずさむ。

「家内安全、子孫繁栄..」
この旅の終わりに立ち寄ったそんな"吉祥寺"だったのだが、其処でなんとも不可思議な物体が祀られていたので紹介する。

これである。

(棒状石製品...?)
かなりざっくりしたネーミングだけど間違ってはいない。何に使われていたかはわからないけど、こいつが面白いのは縄文時代の地層から出てきたという事だ。以前、高知県の山中の資料館で、縄文時代の"石偶"なる石の人形を見た時にも感じた事ではあったけど、こいつは核心的な逸物である。縄文土器は1万6千年を遡る事が出来る。その頃はまだ後期旧石器時代でもある。それまで温暖だった石器時代。動植物は繁栄して食物が豊富であった。楽園である。果物はたわわに実り、狩りで得た肉は生、若しくは直火、或は石の板で焼いてバーベキューをして食べたかも知れない。やがて氷河期が訪れると環境が厳しく激化して食物が減る。するとそれまで口にもしなかった灰汁の強い植物の実や、根っこや、種等を食べて生き延びなくてはならなくなった。そんな状況下で、それらを美味しく、無害に食すために必要になったのが煮炊きである。つまりその時に土器が生まれたと思われる。しかし"石偶"があったのであれば、土偶は土器よりも古い可能性が高い。日本列島の先住民文化に於いて、縄文と石器は共存しているのだから、火焔土器や遮光器土偶などの呪術的なアイテムは、どれだけ時代を遡る事が出来るのか分かったものではない。

歴史も法もあやふやな時だからこそ、根っこを見つめる事もまた必要だと思われる。八百万の大先輩たちの声に耳を傾けなくてはならない。

あの送電線が何処まで続いているのかを...。

(のっそりのっそりと...)
蝸牛の如く。


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