★辰の浮き雲

(僕らは何処に立っているのか?)

100年後の未来さえ危ぶまれているこの文明。日夜繰り広げられる猿に烏帽子の大行進。隔離による沈黙を強いられた人々の、悲しい分裂の悲鳴。宇宙の理である"融合"に相反した核分裂から産み出される力。強力な負のエネルギー。

(これが僕たちの社会が依存する文明なのか...)

僕の故郷三津浜は、古代に海賊が栄えて以来、中世から現代に至るまで、伊予国松山の海の玄関口の役割を務めてきた港町である。故に三津浜は、ある種独特な自治権の様なものを有しているように感じてしまう時がある。ヤクザ屋さんが多いからなのか、アナーキストや野良猫がたくさん住んでいるからなのか。理由はさておき、かつての海賊の町の雰囲気を何処かしらに持っている気がするのだ。しかし昨今は、大きな道が田舎道をぶった切るように開通してしまった為、長閑に暮らしていた野良猫たちが次々と車にひかれて死亡している。伊予灘の沖には海賊が跋扈した忽那諸島が、山口県まで点在している。中新生の火山活動の産物である。

僕は帰省すると必ずある場所に足を運んでいる。古びた漁師町が並ぶ海岸の道を、三津浜から高浜へと北に向かって車を走らせること10分足らず。穏やかに波打つ瀬戸の水面に、不可思議に聳え立つ巨大な石が目に入ってくる。"白石の鼻"と呼ばれている岬である。そこには写真の様な巨石遺構がゴロゴロしている。"鼻"という呼び名は天狗に由来する。サルタヒコの鼻である。即ち突端、つまり岬で、古代から海洋民族の重要な道しるべになってきた。豊後水道に突出する"佐田岬"などはそのまま"猿田岬"を意味する。神話で神武の道案内をしたといわれる猿田彦だが、おそらく岬に点在する巨石を頼りに海を渡ったということを意味しているのではないだろうか。因に佐田岬の根元には現在、伊方原発が暗い影を落としている。

僕にとって"白石の鼻"は、少年時代に釣りや素潜りをして、稚鯛やタコやウニなどを生け捕りにした思い出の場所であり、美しい夕陽を望むことが出来る大好きな場所である。そして1万5000年は下るであろう古代の巨石遺構が残っている場所である。因にこの巨石、秋分と春分の太陽を見事に観測出来る装置になっている。おそらくは石器人の共有カレンダーである。仮に1万2000年前に最後の氷河期が終わったとして、海水面が極端に上昇した縄文大海進が約6000年前だとされている。この"白石の鼻"の巨石が配置されたのが最終氷河期の終わり頃だとすると、そのころ瀬戸内海は広大な平野であった。つまり石器人は陸の高所にこのような神殿をつくったことになる。よって現在は相当数の石が、海や砂に隠されている筈である。彼等石器人は石のスペシャリストたちだ。石が持つ力を悉く把握していた。更に龍脈も理解した。つまりマグマラインを読む知識を持っていたと思われる。でなければ、六甲や昇仙峡、三輪三山も有り得ないのだ。この白石の鼻も然り、日本列島を縦断するレイラインに巨石は並んでいる。そんな"白石の鼻"には龍神様が祀られている。

(然もあろう)

瀬戸の海を望むように静かに佇む"白石龍神社"がそれである。まるで巨石に寄り添うように鎮座している。鳥居の先には海賊の本拠地として名高い興居島が浮かんでいる。因に興居島の神楽は"舟踊り"といって、舟の上で舞う神楽を陸から見る独特の芸能である。

(あなたはこの写真を見て何を感じるだろう?)

太古から古代、中世から現代。綿々と流れる時。それは実在しない存在ながらも、この世に作用する絶対的な力。ぼくらは石器人と生きてるし、中世の人たちと生きている。彼等が残してくれた石がそう語る。”白石の鼻”を後にする時、奇怪な、得体の知れない怪鳥の雄叫びの様な声を聞いた。

(あの声はきっと...)


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